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広島・岡山 での シーカヤック & その他 を記録します。
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プロフィール
HN:
けいた
性別:
男性
職業:
職人
趣味:
カヤック ウクレレ ピアニカ 漢方
自己紹介:
後期中年の自営業
3シーズンは 海にキャンプへ、
冬は おうちで漢方の勉強、
そんな日々を過ごしています。
今の愛艇は ノーライト シオン。
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今週は 山の神様が、大学の同窓会って事で京都に一泊で出かけます。
そんなで犬の世話と留守番を任されたので、今週はNOカヤックWeekでした。
埋め草って訳でも無いのですが、こんな折に「漢方」の纏めを作りたく思います。

「漢方」と聞くと、普通は
張仲景の手による「傷寒論」を中心に発展した
「湯液」つまり「中華式薬物療法」をイメージする事になります。
ですが僕は針屋ですので、入り口が「難経」だったんですね、六十九難とか。
言うまでもなく難経は針治療に特化した経典ですし、ソレに育てられた僕の視点は
湯液を語るにしても、どうしても難経的なトコロからの発言になってしまいます。
しかし
張仲景も「素霊難を元に云々(成立は難経が先)」と自著で語っている事から
根本思想や運用時における、両者の齟齬は本来ならば生まれない筈です。
なので「漢方」では、陰陽五行から三陰三陽に行って、素霊を絡めてから、
その上で難経を纏め、最後に傷寒方面に話を広げようと思っています、僕なりに。

これってかなり大きな事を言っているので、時間が相当掛かりそうです。
しかもカヤックに行けばそっちの記事が優先だし。

さらにそこに、「中華式薬物療法」の歴史や背景となる哲学を乗っけてく積りです、
クドイ事だな とは解っていますが、私的にはこれらの理解は必然と感じています。
なぜなら井沢元彦曰くの「今も昔も分かりきった事は文書として残らない」からです。
数世代を超えて生活環境が変化すると、分かりきった事=常識と思われる事ほど、
分からなくなってしまい勝ちなのねな例を一つあげてみましょう。

昌泰2年(899年)2月14日早朝、菅原道真右大臣に任じられましたが、
さてこの日の夜に行われた祝賀会の席の上空に、輝くお月様の月齢を答えて下さい。
ちなみに江戸時代以前の普通の人なら、ほぼ全員答えられるはずです。
答えは「小望月」つまり
14日月しか有り得ないのです、
なぜなら
当時は旧暦なので、必ず日と月齢が一致するからです。
しかしそれを「あたりまえ」と言える常識は、
現代に生きグレゴリオ暦に慣れてしまった
私達からは、既に失われてしまっている訳です。

さて素霊難は後漢前後に成立したとされています。
その時代の人々によって書かれた文章の意味を取り違える事なく理解するには、
当時の「常識的な知識」位は押えておかないと不可能であり、
またその「常識」はどのような経緯を経て定着したかを分った上で学ばないと、
資料を解釈する時点で、自分流に捻じ曲げてしまう可能性が高まります。
それを防ぐには どのような歴史の大きな流れの中で、
その経典が如何にして生まれたかを知る事が、一番まちがい無い様に思えます。
ですから素霊難に付いて書く前に、陰陽と五行について勉強しようと思います。
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ここの所 漕ぐと言えば、しまなみ方面ばっかりです。
今回も同じくでして、尾道の住吉花火大会に行ってきました。
さてこの花火の打上げは尾道市役所前の海上からですが、どこで観覧するか?です、
まあ海上で観ることは鉄板なのですが、どこの海の上なのよ ですね。
打上げ中と その後30分間は、その海域への船舶の進入と航行が禁止されます。
なので打上げ場所より三原側にいると、足止めを食らってなかなかキャンプ地に
帰して貰えない事になりますから、福山側か三原側かどちらで観覧するか迷う所です、
勿論どちらサイドであっても、花火はバッチリ見えますけども。
そしてこの日は花火打上げ2時間前から 潮が上げ(この海域では西&北流)に加え、
僕の漕力 + 手漕ぎ舟では、大潮の最強潮流を遡上するなんて出来ません。
従って向島を反時計回りに帰ることは不可能な訳で、基本的に福山側で観ようか です。
ただ、下の写真の右側は 駅前から見たクレーンのライトアップなのですが、
この幻想的な景色は三原側からしか見れないんですね、残念ながら。



また観光地&狭い土地の尾道では、悩ましいのが駐車場所の問題で、
同じく観光地&狭い 鞆の花火の時は、当てにしてた浜が
閉鎖されてる事を知らずにエライ目に遭うところでした。
今回は尾道水道を東に抜けた先にある 浦崎って半島の先端(戸崎って言うらしい)
ここの漁港の駐車スペースに一晩置かせて頂く事にしました。
これまで因島方面への出港は、向島の立花や干汐を選んでいたのですが
この度は 海水浴シーズン真っ只中であり、花火客が加わる事もあって、
はたして昼過ぎに向島に入って、スペースが残っているか?が怪しかった事が1点、
そして今回はソロ行きなので、場所の選定に失敗しても自己責任で済むから
冒険して新出港場所を開拓したかった事の2点から、こちらを選びました。
実は地図上では、約25kmと こちらの方が7kmほど近いんですが
道幅が狭く速度が出せない為、到着時間が却って掛かってしまうんですね、
それに分かり難いっちゃあ 分かり難い場所ですし。

そして加えて悩ましいのが観覧場所と、テントの設営場所です。
まず観覧場所の尾道水道ですが、ここは幅が狭いため中々流速が出る場所でして、
しかも予報に拠ると、当日は2.4ノットまで出るそうな。
つまりこの間エライ目に遭った、鼻栗瀬戸程度には流れている筈ですから
機嫌よく留まっていられるようなエディは有るのか?ここが未知数でした。
こんなに狭い…

さらにテントを張る場所です。
大潮だと3m位の干満差が生まれますから、いい加減な所に設営すると
かる~く 水没します、だから小高い浜でキャンプしたいんですね。
具体的にこの海域なら標高と言い、僕の嗜好と言い 加島が最適解な筈です。
ただ航行面での安全を考えると、鞆方面に抜ける約2km幅の水道を
漕ぎ抜けるのが結構イヤな感じなのです。
というのも花火終了が21:15なので、加島までだと1時間ほど
観覧場所から真っ暗な中を漕いで帰る事になります。
暗闇が怖い訳ではないのですが、物理的に船舶に衝突されそうで怖いんですね
下の図の黄色いライン①の鞆方面行きと ②の因島方面行きの航路です。
安全対策として、パドルの両端と 自分の両手首に白色のサイリウムを巻き付け、
帽子の 背面からLEDのカンテラを下げて、帽子のツバ部分には前照灯を付けて、
 精一杯の自衛はしますが、不安は不安です。
かと言って「候補地B」とした、上江府島の浜は水没が怖いですし…
ここまでがプランだった訳です。
ルートの当初プラン

さてアクチャルです、26日(土)のタイムテーブルは以下の通りでした。
変更後
「12時45分に終業、家族で昼食を取り(at 福龍さん、鶏唐ウマー)
 13時20分に出発、14時05分に浦崎港に駐車&カヤックを降ろしパッキング」

「→ 14時45分に加島に向けて出港」
もう少し手早く用意出来たのですが「体温以上じゃねえの?」って日差しでしたので
あえてタラタラと、体温を上げないように作業、でも汗はダラダラ。

「→ 15時15分に加島着」
出港後、戸崎の岬を回り、そのまま南下後、浦崎半島を東に(オレンジのドット)。
某ヒッピーコミュニティの有る浜をスカウトした後、南下して加島に到着。
当初のキャンプ設営の予定でしたが、やはり航路(黄の実線)を跨ぐのは気味悪く
道中よさ気な浜が有ったので、花火の帰路での事故回避の為、キャンプ先を変更。

「→ 15時40分変更先に上陸、16時40分設営終了、観覧場所へ出発」
向島の女法崎の東岸に有る浜に移動(赤のドット、下の写真はその浜&テント)、
花火終了後の自分の動線が航路を跨がない事と、
小高い浜なので水没の心配は無い事から、泊地に決定、設営開始、暑い!
40分ほどで設営は終わりましたが、あまりの汗に海で行水、そのあと着替。

観覧場所への道中は、弱い追い潮で予定通りの船足を確保できました。
潮止まり寸前の時間帯だったので、大潮にも拘らずヤな感じの波 うねりも皆無。
なお観覧場所への航跡は(赤の実線上を往復)としました。

「→ 17時10分観覧場所着、しかし殺風景過ぎる為 渡船場をスカウトに行く。」
17時頃打ち上げ場所の横を通ると、丁度試し打ち上げを始めました、デカイ音です。
海上打ち上げ台
試し打ちの花火
スカウト先に行って見ると こちらの方がイイ感じな為、帰りの強制待機には目を瞑り
観覧場所を渡船埠頭の西の浜に変更して上陸します。
上げた浜より写す
 
色々と現場合わせで変更しましたが、よさ気な場所が見付かったので結果オーライ。
そんなで埠頭横の浜に上陸し、渡船場の自販機で冷たい飲み物を購入。
小さな浜なので花火終了まではDRYな状態が保たず水没するでしょうが
花火開始の19時30分までの待ち時間中は、足を伸ばさせて貰う事にします。
ウクレレを爪弾き 飽きたら本を読み、時間を有効利用させて頂きました。
腹が減ってきたので、19時にカップラーメンで腹拵えをします。
日没は19時13分なので、花火の開始時間の19時30分に近づくと
なんだか中年男の胸も ちょっとザワツキます、何しろ一万三千発ですから。

そして打ち上げ … 

出だしが、まだ明るかったのは残念でしたが、49年生きてきて初めて ってな感動でした
バラキさん、ご一緒できなくて マジ残念です(来年は是非)。
京都にいる頃に見た、びわ湖花火大会も素晴らしかったですが、
この至近距離で この規模の花火大会は、かつて経験した事が無かったですから、
特に目の高さで見る事が出来た、スターマイン系の演し物の迫力がスゴかったですね。
 
 
(カヤックの上から撮ると、どーにもブレます…)
いや僕は幸せ者です、快く行かせてくれた山の神と、娘キノコに感謝です。

105分に渡る夜空のショーが終わり、ここから30分が強制待機時間です。
サイリウムを取り出しパドルと手首に巻きつけ…
そうだ ライトアップされたクレーンがすぐソコじゃん!と思い出しました、
ただ待っていても時間が勿体無いので、早速行動開始です
(打ち上げ場所から出ている赤いドット)。
打ち上げ場所近辺の岸傍は潮流の影響が薄く、漕ぎ上がっている感は有りません。
… いや クレーン良かったです、写真も一杯取りましたです、でも全部光量不足と
通過する船舶の引き波で 手ブレが酷くて使いもんになりませんでした 残念!!

そうこうする間に「通ってエエよ」と海保さんからのアナウンスが入ります、
意外と福山方面に向かう船は少なくって、パっと見て10隻位でした。
エンジン付きの舟達が行ってしまった後を、タラタラと漕ぎます。
尾道大橋までは周囲が明るい為、海面の状況も見易く、また穏やかでもあったのですが
ルート図を見て頂ければ判るように橋の所で水道は「クネっ」と曲がっています。
潮速の最速時間から間もない帰投時刻だった事も手伝ってか、
はい御分りですね、予想以上の荒れっぷりです、バウ喰われまくり、スターン振られまくり、
しかも何かパドルがミシミシいいます、見ると亀裂が!先週の長漕ぎでヤッちゃったのか?
さらに悪い事にこの大潮は新月の大潮、星が眩しく思える位の闇夜です、
さらに橋の手前位から、目立って民家や商店が減り、水面への反射光も無くなります。
最悪ハンドロールすりゃあ良いだけですから、どって事無いといやあ そうなんですが、
パドルを気遣いながら「おっと」「あらら」「うわっ」を繰り返しての、不慣れな夜の漕ぎは
あまり楽しめるモノでは無かった事を正直に白状しておきます。
ここから水道を抜けきるまでの2km足らず、時間にして20分ほどかな?で
結構 体力って言うより、気力を削られて、はようテントでコーヒー飲みたい~でした、
到着したら結局、コーヒーも飲まずに、スグ寝入っちゃいましたけど。

翌朝は例によって目覚まし無しでAM5時に勝手に目が覚めます、ジジイやねえ。
パンとオレンジジュースの朝食を済ませて表に出ると、昨日の暑さが嘘のような
さわっやっかっな日曜ぅ by 田中星児 って感じの夜明けです。
田中星児

折角早くに目が覚めたのだから、暑くなる前に撤収用意だけでも済ますか と
セコセコしていると、なーんか嫌な風が吹いてきます。
予報では9時~昼過ぎまで崩れる可能性が高いとの事でしたから、
出港場所に一旦戻りキャンプ用品一式を車に戻して身軽になってから
練習をしに 加島にでも向かおうかと算段します、
これはたった1.5kmほどの距離でキャンプしたからこその判断でした。
結果から言えばコレが幸いしました、用品を積み終わった頃にポツポツ降り出します、
あーやる気無くなった、カエロカエロ と、着替え終わって 艇をカートップすると、
まるで待っていたかのように雷を伴って本降りに、間一髪セーフ のタイミングでした。

そんなで予定していた練習が出来なかったのは心残りでしたが
「良いものを見れて」「初めての夜間航行もして」「雷雨に遭わずに済んだ」となれば
コレはもう、出来すぎの週末って言っても良いように思えます。
キャンプした割には 土産ナシ 距離もナシ の、僕のソロにしては珍しいツアーでしたが
まあこんな週も有るって事で。

記録:キャンプ8/10泊 ・ ぷかり22/30回(漕ぎのカウントは心苦しいけど…)
時計も正午に近づき「10時間耐久漕ぎ」も後半です。
大久野島北岸の浜から11時10分に出航、同島東岸を南下した後、高根島を目指します。
転流が11時30分頃でしたから、絶賛潮止まり中で穏やかな道行きです。
高根島の南岸を左に回り込み、生口島との間の水道に入ります。
海図等ではここはあまり潮流が激しくないような感じに表記されていましたが
なんのなんの小潮だって言うのにガンガン流れていて、しかもストレートな流れで、
エディもあまり無いので、中潮以上の時にココで逆潮に遭うと一苦労かも。
さてこの水道でのキモは、後日耕三寺を見物する際の揚陸ポイントの確定でした。
瀬戸田

高根島側には良い感じの砂浜が幾つも有ったのですが、下の左の写真に写っている
黄色い橋を渡る事になります、そうすると往復で2kmほど遠くなるんですね。
今回は先を急ぐ旅なので、生口島の側 瀬戸田港の南から揚げる事にしました。
お誂え向きの岩棚と階段が有ったので有り難く使わせて頂いたのですが
ただ この岩の1つ1つが切りっぱなしって言うか エッジが非常に立ってまして
ハルをガッツリ傷つけないか、冷や冷やしながらの下船でした。
冷や冷やと言えば、見ての通りこの岩棚は潮が満ちると水没します。
実はこの写真は門前を一回りした後 乗り込む寸前に撮った分でして、
揚げた時はまだ更に20cmほど岩が露出していた状態でした。
この日の干満具合では1時間で15cm程潮が上がる計算だったので
まあ ここでも大丈夫でしょ だったのですが、大潮なら間違いなくOUTです。
本来なら高根島側の浜、生口島側なら 高根大橋を越えた先にある小さな浜から
揚げるのが正解だと思われます。
  ギリギリ

時間は12時25分、まず西の日光こと耕三寺に向いました …が、なんじゃこりゃあ?
なんと言うか。。。 これじゃない感が僕の理解の遥か斜め上を超えてしまっています。
これ以上書くと、見るに耐えない悪口の羅列になってしまいますので止めますけど、
もしも誰かに「耕三寺ってどう?」と聞かれたら「僕は引き返したで、門の前で」です。
瀬戸田港の近くに有った小さな御社の佇まいの方が、僕の中では上等でした。


「なんじゃ あのパ〇モンは…」と、薄黒い気持ちで門前の商店街を歩きます。
次にむかう先は 食べログで絶賛されていた玉木商店さんです。
既に黒々ハートになっていましたので「名物に美味い物なしってかあ」なんて思いながら
「足の所 4本と タレを3つ下さい、あ 1つはいま食べますからそのままで」。
歩きながら 食べながら 歩きながら … ん … うっまーいっ一気に機嫌が直ります。
いや これを買って帰れただけでも、瀬戸田に上陸した甲斐が有ったってモンです、
それくらい美味しゅうございました。
 
さて次に向う先は、同じ生口島の北岸にあるジェラートの「ドルチェ」さんの本店。
出発時に時計を見ると12時45分、依然良いペースです。
揚げられる場所は有るかなーと漕いでいると、店の真横と言って良い場所に
手ごろな浜が有るじゃあありませんか!当然 財布を握り締めて上陸です。
実は予めメールで確認していました
「本店でしか食せない限定フレーバーってありますのん??」
「や、そんなの ないです」だそうで、ショボンヌ。
つまり福山駅前の天満屋と同じものしか買えないって話ですね、
でも現地で食するのが、これまた旅情を掻き立てるって言うか ね。
そう思いつつ店に行くと… なーんでこんなに並んでるのっ!って位の行列。
まあ熱いしね 観光系は僕だけじゃないしね 瀬戸田の名物だしね そりゃそうだね。
おとなしく並んで買いましたレモン&デコみかん、この暑さ、そして柑橘の島にいる僕、
選択肢はコノ辺りが妥当でしょう、はいこれも美味しゅうございました。
でも やっぱり思うのは「本店限定フレーバーは是非作るべきでしょう」です、
それが瀬戸田に人物金を呼ぶ 誘い水になると思うんだけどなあ。
そんな事を思いつつ 頭キーンってさせながら食べ終わって時計を見ると13時25分です。
ほんの50m先に本店が

次がいよいよラストのセクションです、ここからは漕ぐだけって感じになりました。
道中ジェットバイクがブイブイ、水上スキーがバウバウ、そんな季節になりました。
最終目的は ハッサク屋さんに甘物を買いに行く事ですが
へえ と思ったのが、上陸場所の手前の大浜海水浴場の前の海域で
因島水軍祭の出し物らしき小早が、6艘ほど漕ぎ練をしていた事です。
珍しいものを見れたなー と思って眺めていましたが
ひょっとしたら向こうも同じ事を考えつつ僕のカヤックを見てたかも です。
その横を通り抜けさせてもらい、目的地に上陸すると時刻は15時45分でした。
GPSを見ると、漕ぎ距離60.4km、休憩合計70分、漕ぎ合計9時間35分
時速6.3kmという事になりますね、まあこんなモノでしょう です。
ただ予想外だったのが、この時点で体力にまだ余裕が有った事です、
漕ぎ終わったら浜に10分位ヘタリ込んじゃうだろうなーと、思っていたのですが
感覚的には「あと2時間、距離にして12km程度は…こなせるか?」って感じ。
距離漕ぎは 60kmで終わりにする積りでしたが、こうなると欲が出ます、
もう1セクション、もう2時間漕ごうかな、つまり12時間漕ぎチャレンジです。
勿論今回は好条件が重なりました 「あまり気温が上がらずに済んだ」
「休憩地での気分転換が効果的だった」「前日の睡眠時間が充分に取れた」
「雨が降った翌日で、空気が澄んで湿度も低かった」等々です。
でも何だか出来そうな気が… 9月の連休に向けて熟考したい所ですね。


さて はっさく屋さんでは定番の「はっさく大福」に加えて今回は
温州蜜柑が丸ごと1個入った「菊蜜柑餅」なるモノを買ってきました。
結果から言うと、めちゃ美味いです。
はっさく大福が大人の「LitlleBitterTaste」とすれば
こちらは優しい甘さと汁気タップリな万人向けの お味と言えそうです。
ハッサクの収穫の都合で、はっさく大福はお盆頃に一旦終了するそうですが
蜜柑の方は、その後が本格的な収穫時期のなってくるので、
因島方面で漕いだ際の楽しみは、当分確保できそうです うしし。

記録:キャンプ7/10泊 ・ ぷかり20/30回
今回の長漕ぎは連休中日の7月20日に「10時間耐久」と銘打って行いました。
このクソ暑い時期にそんな事するのは年齢からしてどうなの?ですが、
連休&日照時間の長さから考えて、この時期しか無いんですね。
前回の長漕ぎの後、翌日ヘロヘロで仕事にならなかった事に懲りたので「連休」、
夕方になると気が焦ってペースが乱れるから「日が長い時期」のプランです。
では決して生産的とは言えない「こんな事」を何故するのか?ですが 
それは「60km漕げるかもしれない僕」と「60km漕ぎきった俺」とでは
「何か違う ものの見え方が生まれてくるかも知んないよね」だからです。
漕ぎ終えた今、実際のトコロは「いや~ 別に何も変わらんですわあ」なんですけどね。
でもソレを言えるのも、ソレをやったからですわって事で。
まあ「後期中年よ 書を捨て海に出よう」ですよ。

さて最近は しまなみ海道の南方面の地図を塗りつぶしてきたのですが、
今回は北方面で、まだ行った事の無い海域への訪問を中心に
大久野島を西限としてプランを組んでみました。
ただ漕いで終わるのも芸がないので、いくつかアドオンも組込みました。
1)大三島の東岸に浮かぶ「古城島」。ここは立地的に泊地として魅力的です。
 ここのキャンプ地としての可否をスカウトします。
2)その昔NHKで「ひょっこりひょうたん島」と言う人形劇が放映されていました。
 そのモデルとされたって説のある、独特の形をした島、その名も「瓢箪島」。
 無人島らしいのですが上陸できるそうなので、その辺りのスカウトも行います。
3)また以前から西の日光と呼ばれる耕三寺にも行きたく思っていました。
 後日参拝する際に揚陸する場所のスカウトも、この際やっておこうって腹です。
4)さらに瀬戸田ドルチェの本店に 時間的&物理的に、行けるなら行きたいな と。

今回は行動中の多くの時間が、30度を超える気温であろう
非常に厳しい季節での長距離&長時間漕ぎですから、
少しでも気温の低い時間帯に距離を稼ごうと、極早朝からの行動です。
…ホントは半分ウソです、それも有りますが、これは建前です。
実は はっさく屋さんの閉店時間に1時間の余裕をもって到着する事
ソレを前提にプランを組んだら、この時間に出艇しないと間に合わないんですね。
ちなみに前回の轍を踏まないように「はっさく大福 20個、菊蜜柑餅5個」と
前日の土曜日に予め、電話予約も抜かり無く済ましておきました。
   ルート図

詳しくプランを書くと
・03時起床、03:30に自宅を出発、04:30に立花の浜に到着
・05:00に出発、 因島を時計回りに進み土生で生口島北岸に進む
 (2時間後 7:00着)→休憩15分 13.2km/13.2km 
・07:15に出発、生名&岩城島の北岸→生口島の南岸を抜け
          古城島西岸に進み スカウト
 (2時間後 9:15着)→休憩15分 11.9km/25.1km
・09:30に出発、大三島の東岸から、瓢箪島をスカウト後、
          再度 大三島の北岸に向かった後、
          大久野島東岸を北上し、北岸に進む
 (2時間後 11:30着、この頃に転流)→休憩30分 12.0km/37.1km
・12:00に出発、高根&生口島間の瀬戸を北上し、瀬戸田港をスカウト
 (1.5時間後 13:30着)→休憩15分 9.1km/46.2km
・13:45に 出発、生口島北岸を進み、ドルチェ揚陸ポイントスカウト、
          佐木&因島間の瀬戸を北上し、 因島北岸を進み、 
          はっさく屋さんに到着
 (2時間15分後 16:00着 → ドルチェに揚れれば 16:15着) 
          12.7km/58.9km
・16:30(45)に出発、立花に戻り、撤収 1.1km/60.0km

上記の通り 丁度60km、出発から撤収まで 約12時間のプランだった訳です。
これを「60kmを漕ぐんだ」と捉えると、焦ってペースが乱れそうですので
あくまでも「12km=2時間の距離を、5本漕ぐんだ」と捉えました。
そうすれば前半飛ばしちゃって、後半バテるってな不細工な事は防げるかと。
それと毎回ツアーの後の小便がまっ黄色になっちゃってるものですから、
絶対的な摂取水分量不足なんだろうと推測しました、勿論これはNGです。
そんな事してちゃ腎臓がブッ壊れるか、石が出来ちゃいますから。
その対策に「喉が渇いてなくても必ず30分に1回水を飲む」
そして「汗ばんできたら、さらに頻度を上げる」事で対応する事にします。

さて当日のアクチャルの報告です。

夜明けは05:08なので自宅を出る時は勿論、現場についても 思いっきり
「ヨールー by谷岡ヤスジ」で、うわーこんな中出すのやだなーでした。
とは言え ここでグズグズしていて、後でスケジュールが押してくるのも怖いので
えいやあ で黒い海の中に黒いシオンで漕ぎ出しました。
実際に闇の中を漕いだのは時間にして10分も無かったのですが、
「独り+夜の海+これまで漕いだ事が無い距離」ってトリオだったからか
こんなの何時ぶりだろうか?って位に心細かった事を白状します。
暗いぞ

さて出だし因島の北岸を漕いでいる間は 若干逆潮気味だった為、
小潮とは言っても少々パドルが重く、6km/h程度しか出ませんでした。
ところが先週出港した折古浜の沖辺りから急に船足が速くなります、
本格的に潮目が変わったのでしょうね。
折古沖

さて今回は軍艦の横をすり抜け因島水道に入るルート設定です。
今回は先週も鎮座していた「とわだ」に加えて「くろべ」って艦が
新たに停泊していました、山国育ちの私は何となく見惚れちゃいます。


さて因島水道を抜けるのは初めてなのですが、尾道水道と言いこちらと言い、
この手の「人の営み」を感じられる風景を僕は決して嫌いじゃないんですね、
機会があれば倉敷の美観地区も漕いでみたいと思っているくらいですから。
それにしても狭い水道です、こりゃあ大潮の時の流れはトンデモないでしょうね。
しかもその海流の出口を塞ぐ形で、折り重なるように島が2つもありますから、
波やボイルも凄いかも知れません、んーっいちど見に来たいものです、ぜひ。
狭いです

そして生名島北岸の浜で1回めの休憩です、
到着時間は6:45、15分プランに勝っています、ここで10分休憩。
まだ元気一杯なので いつもなら休憩せずに先を急ぐのですが
何しろ今回は諸条件が過酷です、丁寧にプランをトレースして行きます。
ところでこの浜、悪くはないのですが、チト殺風景な感じの浜でした。
ココよりも、少し先の「サウンド波間田」前の浜を利用するべきでした、失敗。

続いての 生口島南岸も初めて訪れる「知らない海」でした。
この島を背に、岩城&伯方の両島を望む景色は、瀬戸内らしい情緒に富んで
中々漕ぎ味の良いモノでした、また訪れたくなる場所です。
またコスタルに進んでいる限りは 基本穏やか一方の海域のようでしたが、
岩城&伯方の両島を北上してくる流れが有るのでしょうね、
これら3島の交差点で急にボイルと方向の一定しない波に襲われました。
小潮だから どーって事なかったのですが、大潮の日だと結構しんどいかも です。
またこの島は「島ごと美術館」と言うコンセプトを持っているらしく
島の周回道路のここあそこにオブジェが設置されているそうで
こちら岸でも1つ確認できました(ホントは2つあるらしい)。
さすが耕三寺や平山郁夫美術館がある「ゲージツの島」だけありますね。
ゲージツ

多々羅大橋が右に見えた辺りで左45度にバウを廻します。
この海域は、前回エライ目に有った鼻栗瀬戸からの流れと
この後向う大久野島方面からの潮流がぶつかるポイントなので
ボイルや、具合の良くない波が立つのかな と、構えて漕ぎ入ったのですが
逆潮で大三島側に流され勝ちなだけで、いっそ穏やかな海域で拍子抜けでした。
ラッキーと呟きつつ30分ほど漕いで、第二の休憩ポイントの 古城島に到着。
この時点で8:40です、予定より35分勝っています、
と言う事は、生名島の南岸でかなり距離を稼げた計算になります。
さてこの島の「古城」の名は約1300年前、白村江での大敗後に天智帝の命で
唐・新羅に対する前線基地として作られた最古の水城跡だって事に由来するそうな。
しかしどこに駐在する為の小屋とか作ったの?って位、細長い島でした。
なお ここは大潮の干潮時には大三島と砂州で陸続きになるそうで、
ひょっとしたら先週訪れていたらその風景が見れたかもですね、
是非気候が良く 干満差も大きい秋の彼岸にでも来てみたいものです。
その繋がる所が小高い浜になっていて、キャンプ地としても良さ気ですしね。
よさげ

10分ほど手足を伸ばして休憩した後、多々羅大橋に向かって漕ぎ出します。
この橋の大三島側にはキャンプ場を始め 整備された施設が有ります、
確か1泊 一張1300円だったかな?コンビニも すぐ側にあるので
女性や、初心者を含むキャンプであるなら良さそうな場所でした。
しかし多少野宿慣れをしている僕独りならば、回りを気にせずに済む分
橋の袂部分にある小高い草地の方が、却って居心地が良い気がしました、
なにより無料ですからね、只より安いモノはない。

ここから瓢箪島の東岸を目指します。
そろそろ9時を回り気温も上がってきたので、給水間隔を20分に短縮します。
気温が上がると同時に風と雲も若干出てきました。
お天気の依田さんが「梅雨も終盤なので雷に注意」と言っていましたが、
幸いそこまでの問題は無さげです。
さて瓢箪島ですが、確かに中々面白い形で冒険心をソソリますが(写真左)、
砂浜が瓢箪の尻の部分のみ しかも結構トゲトゲした砂利混じり(写真右)なので、
あまり艇を揚げる気にならないのが正直なトコロです。
じつはGPSの電池の充電が甘くって、この直前でWarningが出てしまったので
泣く泣く上陸したのですが、ハルがガリゴリ言ってて気分が悪かったです。
更にテントの設営に適当な場所も狭く、周りの海流も不規則で漕ぎにくく、
何より遊覧船が来るって事から考えて、キャンプには不向きかもしれませんね。
そんな事情で、電池交換のために予定外の上陸&休憩を5分ほど取った後、
大三島の北端 鳥取岬を経て、大久野島を目指します。
 

ここまでは潮目が良いお陰で船足が素晴らしく良好で、
GPSの電池交換の時点で時刻はまだ9時45分、つまりプランに45分勝っています。
ならばと、当初は大久野島東岸を往復する予定でしたが1.5km遠回りして
南岸の前を通り、西岸を北上する、つまり島を1周する形に変更しました。
南岸には海水浴場が有り、海の日だからでしょう 黄色い声も聞こえてきます。
南岸

この島はカヤッカー的に良い雰囲気の島で、観光用に整備されている割には
砂浜をそのまま残しておいてくれている為、上陸ポイントが幾つも有ります。
ここに限りませんが、この竹原の辺りの島々は隣の小久野島にせよ阿波島にせよ
カヤッカーに優しい無人島が多くて魅力的な海域です(波は少し不規則ですが)。
さて同島北岸には11時前に到着、遠回りしても まだ30分以上余裕があります。
ココの浜で昼食にしようかと地図に有った海水浴場を探しますが…ない、
いや立派な浜はあるのですが 海水浴客が居ない、Why ? と出川哲朗状態です。
「???」って感じで浜を上がると、何だか工事中みたいな様相。
why?

少し先にフェンスが張ってあるので、ランチボックスをぶら下げて見に行くと
何やら掲示板が張ってあります、でも裏側だから読めない、って事は…
俺がフェンスの中かいな!でした。
よじ登って外に出て見てみると、そこは島の外周を巡るサイクリングロード、
その掲示板いわく「資材置き場につき関係者以外立ち入り禁止」ですって。
あらあらと思いながら、フェンスの前の防波堤に腰掛けてランチです。
しかし兎島状態とは聞いていましたが、いやー恐ろしい位に兎だらけです、
「おまえ、なにくってんだ、おれ、それ、くえるか?」と寄って来ます 可愛い。
現金なもので 食えないとわかると一顧だにせず去っていきますが…。


さて幸いここまでは予定よりずっと早くタイムテーブルを消化できています。
これで道程の6割を消化した事になりますが、まだ体力には余裕がアリアリです。
さて次は 一旦高根島を目指し、生名島の西岸との水道を北上して瀬戸田港に。
元々は30分の休憩を大久野島で取るプランでしたが、尻の座りが悪いって言うか
少なくともこの島の北部エリアでは何故かリラックスできないので
予定の半分の15分で切り上げて、11時10分に出発する事にします。
まあその分、生名島で上陸した際にタップリ休憩して穴埋めをしようって魂胆です。
この時点でプランに50分勝っている事になりますね、いい調子だなあ。

続きます・・・
波音が響けば 雨雲が近づく by 研なおこ …日曜日の雨音で目が覚めました。
時計は5時30分、散歩に連れて行くべきワンコがいなくても
やっぱりいつもの時間に目が覚めてしまうようです、体内時計スゲー。
そうこう言う間にも雨は、小止みと篠突く様な降りを繰り返しています、
フライのジッパーを下ろして外を伺ってみると、辺りは 水浸しです。

 
とは言え、雨でも何でもヤルことはやらなくちゃ です、と言うのも
他の方のブログや 潮位表から推すに、8時には浜が消えそうなんです。
肌寒いので 湯を沸かし、暖かいコーヒーとパンの簡単な朝食。
雨のせいで若干 作業が遅くなってしまう事に焦りつつ荷物を纏めます。
大きな東屋が施設の中に有るので、纏まった荷物を移してから
テントを組んであるまま運び、屋根の下で簡単に拭きあげーの、
分解&収納しーので、全荷物がパッキング可能になったのが7時過ぎ。
さあ出るぞ と浜にカヤックを降ろしに行くと、潮の満ちが思ったより早く
すでに浜の幅が1M無い位まで狭くなってしまっています。
バラキさんはと見れば、僕と違い博物館には行かない腹だからでしょうか
結構のんびり構えてられます、ひょっとしたら潮位の事を失念してるかも。
「浜の水位、結構きてますよ~」と声がけをしてからカヤックにパッキング。
僕はこれがいつもドン臭いんですよね、20分位掛かるんです。
特に荷室への浸水防止のビニールパッキンの取り付けに時間がかかります、
でも ちょっとした皺が出来ちゃうだけで海水の侵入を許しちゃいますから、
焦っても やっつけ仕事は禁物なんですよね(手痛い授業料を数回払い済み)。
7時30分になって支度が整った頃には、雨脚も若干弱まってきました。
バラキさんも浜に降りて支度を始められたので、挨拶をして出港です。

能島までは流れとボイルは多少有るものの、まあフラットな水面です、
追い潮のおかげで1.5kmを10分足らずで島の北面の、
船着場だったと言われている砂浜(下図黒い四角)に到着しました。

下の左の写真の右端辺りに 三ノ丸(上の図 青丸)への登り口が有り、
右の写真はその道中から浜を写したものです。
前回の大島では大潮の潮位を舐めていた為、艇を流してしまう寸前でしたから、
轍を踏まないように、汀から可能な限り遠くに離しておきました(重かった~)。
 

そして三ノ丸跡から写した島西岸の激流部(上図青矢印方向)です。
このように流れが速いだけでなく エディーによる渦や、ボイルが消えては現れ
めまぐるしく様相が変化します。
 

次に本丸跡(上の図 緑丸)まで上がります、当然ですが眺望の効く所ですから
出丸になっていたと言われる鯛崎島から、向かい岸の宮窪まで一望できます。
(上図緑矢印方向)

夏草の草いきれを嗅ぎながら、さらに進んで見張り櫓跡(上図赤丸)まで行くと
ソコからは最激流部の島東岸の様子(上図赤矢印方向)が見えます。
海底がフラットだからか木曽川の桃太郎公園の手前の瀬のような
派手な波や 豪快な瀬音こそ立っていませんが、遠目でも解る流速です。
例えるなら「台風の後の保津川」のノリですね、さあどっち岸を下ろうか です。


約1分に渡る熟慮の結果 東岸を下る事にしました。
やっぱりここまで来たら、冒険しなくっちゃダメでしょう。
でも冒険心と、無謀な浅慮は似て非なるモノでしょうから
以下のように考察したわけです…
「両端は どうも岩があるようでウェーブやボイル、エディなど
 楽しげで 恐ろしげなモノがあるけど、激流の上流部から侵入して、
 ド真ん中を漕ぎ進めば、トラブルフリーっぽく見える。」
「そのまま流されると東方向に流されてしまい、村上水軍博物館のある
 宮窪に行けなくなりそうだから、エディの境界がボヤケている辺り
 =鯛崎島との中間地点でエディインした後、宮窪方面に」って方針で です。

結果は 半分正解、半分失敗でした。
まず本流は 流れこそ速かったものの、やっぱり 増水時の保津川程度でした。
「なーんだ 本流、大したこと無いや」と気軽に入った エディ、これが問題でした。
中々とんでもない代物で、まー振り回される事ったら すごいすごい。
どうも正解は そのまま力技で右舷方向に漕ぎ進むべきだったようです。
でもエディ内の流れに乗っていれば、鯛崎島の西岸=宮窪地区の正面方向に
運ばれそうだったので下手にジタバタはせず、ゆるーく漕いでいると
2~3分で 比較的穏やかなエリアに出れました。
まあ無事だったから結果オーライですね、リカバーが必要な事も無かったですし。
そこから鯛崎島を越える位まではどうって事の無い水面だったのですが、
その先 鯛崎島と、次の目的地の宮窪地区の中間点辺りでは
今 僕を運んだ潮流が、防波堤みたいに東西に伸びている宮窪エリアに
一旦ブチ当たって戻って来るからでしょうか、強烈なボイルと、でっかい渦潮が
ええエディではありません、う・ず・し・お が、発生していました。
3回ほどモロに巻き込まれて艇を回されましたが、一番でかい奴は
艇の先端から渦の端が1m位有りましたから、直径7m前後あったのでしょうね。
(上図緑矢印方向)の写真の中央から2時の方向にもデカイのが写っています。
いやあ~ でっかいFunと、チョビッとのThrillを味わえました、能島サイコー!。


そしてそのまま漕ぎ下り、村上水軍博物館のほぼ真ん前にある浜に上陸します、
殺風景な浜に見えますが、実は非常に整備された綺麗な浜でした。
前回の大島では大潮の潮位を舐めていた為、艇を流してしまう寸前で (ry


上陸して徒歩1分、ここが村上水軍博物館です 入館料300円、やっすっ。

 
そう大きなパビリオンでは無かったのですが、内容はなかなか充実していました。
開館の9時ジャストに伺って、入館早々に鎧体験をスタッフの方にお願いします
日曜ということで、混み合っちゃうと、着せてくれえなんて頼み難いですからね、
ただ残念な事に、人間がピンボケなので、写真も右に倣えになっちゃいました。
さて 展示物ですが、海賊衆の興亡と、その辿った歴史が判り易く陳列されており、
日本中世史好きの僕としては、大変面白く拝見させて頂きました。
ただ、海賊衆を単なる既得権益者、暴力的権力者として紹介せずに、
関銭を徴収するにしても、その見返りとして水先案内をかって出ていた等の
「技能と金銭の等価交換」をしていた点をもうチッと紹介して欲しかったかも。
この点については7月19日より「海賊働きとは?-村上海賊って悪者?-」として
特別展示で行われるそうです、あら 見れなくて残念だわあ。
1時間の滞在予定が30分もオーバーするほど熱心に見て回っちゃったもので、
本当は1Fのカフェで サザエ丼を食す積りだったのが時間切れ トホホ。
これも残念だったわあ で、後ろ髪を引かれつつ売店で
村上氏の家紋入り今治タオルを土産に買うに留め、結局10時45分に再出発。


そしてあとは ひたすら 漕ぐ漕ぐ漕ぐ でした。
天気もすっかり回復して 雨上がりの匂いがします、風は追い風、
心配していた12時を超えてからの逆潮も、
選んだ海域が正解だったようで殆ど感じられない程度です。
上の写真は弓削島の商船学校を超えた所の港で、ここまで来たら
小学校がある岬を回って、昨日の軍艦の横を抜ければもう折古の浜ですから
今回のツアーも終わりです、嬉しいような 残念なような。
結局 休憩しつつ約19kmを3時間で帰って来れました、帰着時間は13時40分。


そして最後のお楽しみ はっさく大福です、でした、でしたが… 
15時前にお店に行ったら「本日分売り切れ」の張り紙が、
念の為 中に入って話を聞いてみると1時間くらい前に売り切れたとの事。
仕方ないので しまなみに乗って、土産を買おうと大浜PAに入ってみると
ありました、ただし「はっさく屋」さんではなく「松愛堂」さんのでしたけど。
家に帰ってから食べ比べてみると… 厳しい事を言うと、似て非なるものです。
「餡が甘すぎてハッサクの匂いを殺してる」「餅から蜜柑の匂いがしない」
「はっさく自体が、あまりシャキシャキしていない」と家族からもダメ出しの嵐。
人生で最初に食べた「はっさく入り大福」がコレだったら、
「まあ こんなモンでしょ」と納得してたかも知れません、ただ次はないかもです。
だってこの程度では よくある田舎の和菓子に過ぎないですから。
でもその点「はっさく屋さんの はっさく大福」はセンセーショナルでした、
具材個々の味わいは主張が強いのに、商品として破綻していない点、
改めてバランスの妙を感じますね。
また基本コンセプトに「八朔の香りを、如何に鮮やかに表現するか」ってな
設計思想が伺われ、その地元愛ぶりも非常に好感が持てるのです。
だって他所様に「これ御土産です」って渡すのに、何処にでもあるようなモノを
出すのは詰まらないじゃないですか、その点このローカル色は極めて適切なのです。
以上 針屋、甘味について熱く語るでした。

次回のツアーは笠岡諸島方面の積りでしたが、急遽変更します。
尾道の 加島、百島方面にします、そして はっさく屋さんに再訪です、
勿論 電話予約の上で です「すんませーん 20個、取り置きで…」。

記録:キャンプ7/10泊 ・ ぷかり19/30回


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