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広島・岡山 での シーカヤック & その他 を記録します。
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プロフィール
HN:
けいた
性別:
男性
職業:
職人
趣味:
カヤック ウクレレ ピアニカ 漢方
自己紹介:
後期中年の自営業
3シーズンは 海にキャンプへ、
冬は おうちで漢方の勉強、
そんな日々を過ごしています。
今の愛艇は ノーライト シオン。
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7月第一週の週末は事務仕事三昧で、海に出れずに鬱屈した1日を過ごしました。
で、気分を晴らすべく ちょっと今回もハードなルート設定をしました、
題して「第3弾!大潮の激流を見に行こうツアー」です。

2年前になりますが、ヤフオクで落札した自動車を引き取りに淡路島に出向いた際、
最強になると聞いた「春分の大潮の鳴門の渦潮」を家族で見に行ったのが 第1弾。
この折は流石にカヤックではなく「潮流体験ツアー」ってヤツでしたけどね。
そして2週間前の週末に「大潮の来島海峡」を見聞しに行ったのが 第2弾。
そして今回「船折瀬戸」を味わいに行ったのが 第3弾なワケで、
これでやっと瀬戸内の3大潮流の全てを見に行けた事になります。
しかも満月の大潮… 悟空ならずとも オラなんだかワクワクしてきたぞ です。

さて来週の3連休の話ですが「10時間耐久パドリング」にトライする予定です。
なので、それに向け体力を温存しておきたい事から漕ぎの距離は控えめにして
土曜日は21.5km、日曜は24kmのルートで設定しました、
何しろ先々週の大潮のツアーでは欲張った距離を設定して辛かったですから。
確かに逆潮のエリアを避けておけば、大幅に体力を削られる事は無いにせよ、
大潮によるパワーが強い潮流が、ボイルだの、変な方向からの波だの、
中潮以下のパワーでは現れない「ヤなの」を所々で産んじゃいます、
ソレに対処するのに 艇を体幹でコントロールする事になるんですが
この作業に結構 スタミナを奪われちゃう事を思い知らされたんですよね。

そして今回も
「能島に上陸して「水軍城跡」を辿りつつ、目下の激流を高みの見物」
「そのまま南下『村上水軍博物館』を見学」
「リクエストされている はっさく大福の買出し」と、観光プランは盛り沢山です。
ただ、同行頂くバラキさんは
「20kmを3時間はキツイので、御自身は先に出発しておく」
「博物館に興味は無いから日曜日はお互い単独行動で」との事で
今回は一緒にキャンプをする「見近島での 集合&解散」の予定でした。


さて今回の計画の成否を分けるキモは17時25分頃の鼻栗瀬戸での転流で、
「この時間までに難所を抜け、三小島って場所で目前の灘の転流を待つ」
これが出来るかどうかでした。
そもそも キャンプ地の見近島周辺、そして手前の鼻栗瀬戸の辺は潮流が複雑で、
途中まで追い潮で来れても、瀬戸を超えると逆潮になる ってな風ですし、
ましてや大潮みたくパワフルな日は、とても逆潮を漕ぎ上がれやしませんから
海況によっては 「要潮待ち」と、非常にプランが立てにくいエリアなんです。
それが今回は、向島の立花から出たのでは間に合わないものの、
橋を渡って 因島の折古の浜からだと、僕の漕力の6km/hなら、
前回の来島海峡と同じく ほぼ潮止まりのタイミングで問題のエリアに辿り着ける
年のうちでも 数少ない貴重なチャンスの土日だったんです。

そんな事情を背景に、大急ぎでR2バイパスを走り 因島に向います。
仕事が早く終わった為、14時前に折古の浜に到着できました イイ感じです。
駐車場を見渡すと あれ?先に出発している筈のバラキさんの車がない??
まあ 何か急用でも入ったのでしょう、と 単独行の積りで出港準備を始めます。
よし予定通り30分に出せそう… と、いつになくキビキビ作業をしていると
「おーい」と聞き慣れた声…あら?バラキさんです。
何でもトアル作業に熱中していて遅れてしまったそうです。
ならば一緒に行きますか と待つこと暫し、結局15時丁度の出発です。
下の写真の場所は折古の浜から 少し行った因島のドッグです、軍艦デケエ。
このように土曜日はピーカンでもなく の、非常にカヤック向きの天気でした。


岩城島のフェリー乗り場、思わず「や~まだ~」と言ってしまう僕は40年生まれ。


スタートで30分遅れた事で「鼻栗瀬戸の難所で逆潮に ぶつかるかも」と、
若干の不安は有ったのですが「まあ 道中追い潮だし、間に合うかな~」と、
まあ 軽~く考えていました、だからバラキさん待ちの間に
下の2枚「瀬戸から見た来し方行く末」の写真を撮っている余裕も有りました。
時間は5時45分、見ての通り まだ逆潮のパワーは微妙でしかありません。
来し方
行く末

結局 鼻栗瀬戸でも難所中の難所、この橋の袂にバラキさんと
二人で揃ったのが 予定より30分少々遅れの6時過ぎ、
本来この時間には この橋を越えて「行く末」の写真の中央辺りの
3つ並んだ島の所にいないとマズかったのですが…。
実は上の写真を撮り終えた3分後位かな?それまで静止していた艇が
「来し方」に流され始めて「あ~マズイかも~」とは思っていました、
でもまだその程度、軽く考えてました。
そして「行く末」の右辺りに有る島影から対岸に渡ろうとすると、
フェリーしないと「来し方」に戻されるほどの流れが…
ようやく顔色が変わりました「うーわっ めっちゃ逆潮やんけえー」
人間焦ると本性が出ます、関西弁も出るってモンです。
状況は川での漕ぎ上がりと似てますから、同じ技術論で解決できる筈ですが、
悩ましい事に足掛かりに出来るような いい具合の岩陰も、エディも有りません。
仕方ないですから次善の策として、ボイルの縁をエディに見立てて、
その間を縫って漕ぎ上がろうとしましたが、ふとGPSを見てみると、
富士樹海に入った時の方位磁針みたいに、有らぬ方をグリグリ指します。
え~壊れたのかあ~?と思いましたが、横を見ると景色が変わっていない、
つまり一生懸命漕いでても、押し戻されーの、回されーのだった為に、
GPS上の自艇も迷走していたようです。
って事は7~8km/h位の流れを溯上しようとしてた事になりますね。
この間 約800m、何とか反対流を見つける事が出来て脱出できましたが
通常なら10分掛からない筈なのに、実に小一時間掛かりました。
いやー疲れました、橋を越えた所の浜で5分ほど小休憩した後
2人してゾンビみたいな顔色で、キャンプ地の見近島に向います。
幸いこちらは追い潮で2.8kmを20分位で楽々と到着できました。
見近島と
&能島
 
見近島の対岸には「伯方SCパーク」という道の駅が有って
ウェブで見ると併設されたレストハウスが中々充実しているようでした。
ここで土産の一つでも選ぶか、ソフトクリームの一つでも食したかったのですが
営業時間が17時迄と、御縁が無かったのは残念でしたね~
…すいません強がりです、実際は とにかく早くテントを設営したかったです。
当初キャンプ地候補だった能島も「指呼の間」に迫っていたのですが、
時間的にも 気力的にも「もうもう 無理~」な状態でした。

さてこの見近島について事前にウェブで情報を調べてみると、
無料なのに(近隣のキャンプ場は1000円~)しっかりと整備されていて、
しかも自転車か、バイクか、徒歩でないと入れない為
バイカーやチャリダーの御用達になっているようでした。
って事は シャコタンの車で乗り付ける ヤンキー小僧達の
ロケット花火なんかに煩わされる事も無いであろう、よさ気な場所です。
ただこのエリア全体で「瀬戸内しまのわ2014」ってイベント中ですから
下の写真みたいな 押すな押すなの大混雑かな… と予想していたら
予想

学生さん達の休み前だからでしょうか、この写真ほどには混んで無かったです。
数えてみると テントは僕らも入れて全部で12張だったのですが、
日曜が雨の予報だった事から考えると、結構賑わっていたように思います。
期待通り大人な方ばかりだったようで、バカ騒ぎも無く静かな島の夜でした。
よって今回のレレはTheBoomを中心に、遠慮がちに声量を絞って楽しみました、
ええ 僕も いい大人ですから。
諸事情で生鮮の買出しに行けなかったので、晩御飯は質素な内容です。
次回はそろそろ 鶏スキ位のマトモな宴会Verのメニューにしたいなあ
アウトドアでの食事も、キャンプの楽しみの一つですからね。
近場の 本島か、北木島辺りでのキャンプの時にでもやろうかな。
そんなでウクレレを弾きつつ、雑談に興じつつの間に、21時を回りました。
本日の激潮時間帯です、さてどんなか と覗いてみると…
うーん 見近島の辺りは広いからかあまり「激流」って感じがしませんでした、
「確かに流れとるなあ~」レベルです、激流は明日のお楽しみって事ですね。
さて日曜は7時30分には出発したいので、6時起床としました。
体力温存のため 22時に就寝、この頃からポツポツ雨がフライを叩き始めます。
そして風がすごい!どうもこの海域にバラキさんと来ると強風が吹くようです。
実は前回のキャンプで愛用のテントのグラス製ポールが割れたので
今回は予備のソロテントを投入していたんです。
このテントは狭くてあまり好きではないのですが、
こちらはジュラのポール&魚座型フレームなので風にはずっと有利です。
この安心感から、多少フレームが撓んでも気にせずにいられました。
なんだか良いことも悪いことも「ワンプレートでやって」来た様な1日でしたねー。
疲れていたのでしょう、最後の記憶は時計が10時15分を指しているな、でした。

本日の教訓
《タイトで シビアなツアープランは、ソロ行きの時のみ立案する事》
 (自分独りならまだしも、他人さんまでゾンビにするのは目覚めが悪い…)
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疲れと 事務仕事が溜まってしまったので、7月最初の週末は完全休養に当てました。
さて6月の最終土日に伊予大三島の大山積神社に参拝した事は先日書いた通りです。
で埋草に、そちらの宝物殿に収められていた、伝「鶴姫の鎧」について思った事を。

論点は「なんでボディラインに沿わした仕上げなのだろう?」です。
寡聞にして私は国内で この鎧以外で、
ここまでウェスト部分をハッキリ絞った形を見たことが有りません。
鶴姫の鎧  鶴姫図

「女性だから」なら、同時代の巴御前の鎧姿はどうだろうかと見てみると
男性と共用の大鎧、つまりウェストはさほど絞られては いないようですね。
また現代の武者行列で、女性武者を演じる方達のソレも同様のようです。
現代

「陸戦以上に、海戦ではフィット感が重要だった」からでしょうか?
なら男性用の鎧であっても、男女の体型の差からくる差異は有るでしょうが
シェイプとしては、同様に脇は絞られている筈です。
鶴姫の鎧と同じく大山積神社に奉納されて展示されていた 伊予水軍の総帥
河野氏の鎧は、やはり通常の大鎧なのでソレも違うと思われます。
河野通信の鎧

では海外ではどうでしょう。
確かに西洋の鎧と聞いて浮かぶものは、下図左のような
体型に沿った形のイメージがあります。
しかしこれは「プレートアーマー」と呼ばれるモノで、どちらかと言えば
身分が高い=リッチな=少数の人のみ が着用した形式だそうです。
実際は日本と同じく縅した鎧(ラメラー)が長い間使われていました。
プレート   縅し

では何故日本ではプレートアーマーが生まれず西洋で発達したかですが
西洋では攻城兵器が発達し、その応用として強力なクロスボウ等の
飛び道具が開発された為、鎖帷子や縅鎧では防げなくなったからです。
勿論プレートアーマーにも欠点は有り、「重い(50kg前後)」
「高価な金属を多用」「可動制限が大きい」等が普及を妨げました。
その点 日本では種子島の導入まではせいぜい重藤の弓程度でしたから
これらの欠点に目を瞑ってまでプレートメールを産み出す必然性が
なかったと言えます。
そして見れば解るように、西洋でもラメラーは体の線に沿っていません。
ルーズフィットにする事で下にキルティング等を着こみやすくして
メイス等による打撃の衝撃に耐えるのにはその方が有利でもあります。
プレートメールは少しでも「軽量化」「戦闘や騎乗時に邪魔にならない」為
体の線に沿わせる必要性が生まれたと言えます。

ではでは鶴姫の着用していた縅し鎧の
あのフィットぶりには、どのような必然性が有ったのでしょうか?
札数を減らす事での「軽量化」は、さほど期待できないと思われます。
ならば「戦闘遂行や操船に有利」でしょうか。
当時の船戦は、矢合わせから始まり、敵船に乗り込んでの白兵戦で決まります。
鶴姫には巴御前のような、個人的な物理的武勇が伝わっていない事から
戦闘能力を期待されたとは考え難いですし、
また「姫」と呼ばれる身分である以上、水夫仕事をしたとも思えません。
よって利便性、実効性から鎧をフィットさせる必然性は見当たりません。
ならば「利便性、実効性」以外の観点から、必然性が生まれたと思われます。

結論から言えば「カリスマの獲得」ではなかろうか です。
ざっと来歴を見ると彼女は大三島の支配者 大祝氏の当主の陣代として
対大内氏戦で初陣したのが16歳の1541年なので、金森長近と同世代です。
1543年に陶隆房率いる大軍を、恋人の決死的行動と引き換えに撃退した後、
世をはかなんで自殺した事になっています。
先にも述べた通り、個人的な物理的武勇伝は特に伝わっていません。
とは言え 海戦での指揮能力の優劣は、そのような個人的武勇以上に
自船隊を如何に指揮して、敵船隊を分断 或いは包囲して、有利に戦局を
産み出すかによりますから、その事自体は陸戦程には重要ではないようです。
現に能登守教経に源義経が追われて 逃げまくった事についても
無様とは言わず「八艘飛び」と、逆に賞賛されているほどですから。
しかし鶴姫が、河惣益巳の描くサラディナーサばりに
優秀な海戦指揮官であったか?については否とも 是とも どちらとも言えません、
何しろ具体的な戦略や戦術のスコアが残っていません。
ただ日本の中世における女性の地位や役割は結構高く、それに伴う責任も重く、
個人的な感慨で命を絶つような、無責任な行動を取るとは考え難いと言えます。
ましてや救国の女傑として持て囃されているなら、その本人がいなくなるのは
一族や自国、協力国に多大な迷惑と損害を与える事になりますから。
下手したら、その死を奇貨として 他国が攻め込んで来る訳ですからね。
僕が考える現実としては、
「前回の遠征を失敗した大内氏は、必勝を期して名将陶晴賢を送り込んできた、
 前の戦いで座り大将だった鶴姫は縁起が良いし 戦意高揚に役に立つ、
 じゃあイメージリーダーとして鶴姫を前面に押し出そう、
 それなら神功皇后にあやかろう、ならば女性を強くアピールしよう、
 じゃあ女性と一目で解るウェストを絞った鎧で、御座船に居て貰おう。」と、
そして大祝氏が神主を務めるオオヤマツミ神社は日本の海神の元締めですから
キャッチコピーは「我らには海神の申し子の加護がある!」だったろうと、
こんなでは無いかと思われます。
そして同年に大内氏は、出雲遠征に失敗し 瀬戸内の覇権どころではなくなります。
一方 同じくこの年、伊予の盟主的な河野氏の大きな内紛も起こり
一族がまとまる為の求心力としては、もっと現世的な利益誘導が必要となります。
こうして鶴姫は歴史の表舞台での出番が無くなったのではないでしょうか。
 当時は現代と違い医療が充実していません、自殺でなくても、
風邪をこじらせたかと思っていたら、あっという間に儚くなる事も有り得ます。
そんなで本当に18で亡くなったのかもしれません。
あるいは単にNameLessな一般人に戻って、普通に女性としての一生を過ごし
やがて海に帰ったのではなく、土に還ったのかもしれません。
ただ それは彼女の不幸せを意味するとは思えません。
それならそれで、大阪の恵比寿神社の福娘のように、地方の実力者の元に
縁起の良い奥方として嫁いで行ったのではないでしょうか。
歴史の表舞台に立ち続けることに生き甲斐を感じる為には
トレードオフで平凡な人間なら大事にしたい何かを失うと言う事になりがちですから。
さて目覚ましが4時20分に鳴ります、最近の僕のトレンドは早め早めです。
6月29日は出だし逆潮の予定でしたが、前回の記事の通り
早く行動した分距離を稼げたので、スムーズなプランが組めました。
図1

上の図1の青いラインが29日の行程です。
4時30分に起床、早すぎて食欲が無いのでパン1ケとコーヒーで朝食。
撤収に45分掛かったので、5時15分に バームを飲んでから出航。
小島を反時計回りに廻り、しばし今治大橋を「でけー」と眺めます。
橋近の水面が荒れているのが判りますか?4~5ノット有るようでした。
早朝の橋

その後、小島の東の岬から2時の方向に航路を横断。
これまたラッキーな事に僕が航路に差し掛かる前に、大型船が団体で通過、
その後しばらくの間は途切れてくれたお陰で、待ち時間ゼロで済みました。
ここから津島の小島鼻を目指します。

小島鼻からは、大三島の ふるさと憩の家前の浜に向い11時の方向に転針します。
計算通り7時前にココに辿りつけたので、先ずは一安心。
と言うのも 6時53分に 潮止まり=南行に転流するのですが、
前回のブログに書いた通り、今治東岸エリアで南行(逆潮)に転じたとは、
すなわち大崎上島東岸エリアで北行(追潮)に転じたって事なんですね。
だから裏しまなみ海道を越えれば、潮流に背中を押されて楽々なのですが、
越えるまでは、逆に時間が経つほど逆潮がハンパなくきつくなって行く訳です。
だからなんとか転流直後の約1時間の潮止まりの内に
この大三島~大上島間の海峡部に差し掛かりたかったんですね
いや早起きの甲斐があったってもんです。

日曜日の第1回目の休憩は、この分水嶺になっている海峡の本州寄りの
大三島宗方の西に面した浜(浜の名は不明)で取りました。
大型船の動向に緊張しつつ、転流の時間に追われつつの 約15km、
2時間半の漕ぎでしたので、まだ8時前だっていうのにグッタリ。
体力を削られたって言うよりも、精神的に疲れたって感じでした。
ただ ここからは何も考えずに追い潮にのって行けば良いだけの気楽な旅です。

休憩して 心身ともにリカバれたので、大三島の大山祇神社に向います。
これまでは観光系カヤッカーと名乗りつつも、ログトラッカーとしての
面に出てしまい勝ちで
「そんな時間が有ったら」と距離を稼ぎたい気持ちから
ツアー中に物見遊山を組み込めなかったのですが、
今回やっと「いいかげん は 良い加減」を実践できる運びとなり幸甚の至です。
ちなみに実は私、京都の松尾大社の御祭神「大山咋命」と
こちらの大山積命は同一神と思っておりました、別の神様なんですね、
今回下調べして初めて知りました。
6km強の距離を漕いで、B&G大三島の前の浜に置かせてもらって上陸です。

時間は9時過ぎで、この時は上げ潮帯でしたが1時間に10cm程度ですし、
探検時間は90分程度なので 帰ってきたら艇が無いってこたあなかろうと
防波堤のキワキワに寄せて、片道1.5kmを てくてく行きます。
上の図1の陸上の赤い点線です。
PDFとスプレーこそ脱いで行きましたが、アウトドア~んな格好ですから、
お社の荘厳な雰囲気の中では浮きまくりです。
      

先ず参拝して御挨拶をした後、海路の無事を占おうと御神籤を頂きます… 凶。
友人に京都の下鴨神社の御神籤の印刷を一手に引き受けている奴がいまして
彼の話だと 凶なんて100本に1本あるかないかってモノらしいのですが…。
気を取り直して宝物殿で有名な源義経の奉納したと言われている鎧を見学。
実は童友社のプラモで、昔に同じのを持ってたんですよね
引越しのドサクサで10年前に紛れちゃって見つからないんですが。
おー 実物は違う!なんか違う、何がと聞かれれば困るが違います。
そして鶴姫伝説で有名な女性武者が着用したという鎧を見学。
多分身長155cm位、バストが ボーン! ウェストがキュッ!
姫は なかなかのナイスバディだったようです。


神域の馬鹿でかい楠を見た後、道の駅で土産を買って艇に戻ります。
お社の門前に「大漁」と言う有名店が有るのですが、開店前なのに既に行列。
流石に昼過ぎまでカヤックを放っては於けませんので、今回は諦めました。
戻ったら…   あ 艇が波が打ち寄せるたびに汀で揺れています。
下左の写真で艇を置いている場所が、右の写真の赤い丸の所です。
大潮の際の潮が満ちるスピードを読み違えていました、いや危なかった、
大漁の開店を待っていたら、恐らく波間にプカプカだったことでしょうね。
土産と貴重品袋を路にそっと置き、防波堤から飛び降りてカヤックに向います。
これが「凶」の神意だったのかなあ、コレで済んでくれれば良いのですが。


念の為 装備一式をバンドでまとめておいたので、逸失した物は有りませんでした。
幸い満ちても沈みきらないであろう、草が生えているエリアが有ったので
(左の写真の白い車が有るあたり)そこまで運んでアカ汲みをしたのですが、
打ち込んだ波で完全に水舟状態、めちゃくちゃ重かった。。。 
で、一息ついて時計を見ると11時過ぎ、知らん間に2時間近く過ごしています。
浦島太郎もこんな気持だったのかなと。
さて残りは13km足らずなので2時間少々掛かる目算です。
12時20分に転流ですから、急いで出航しないとモロに逆潮に遭っちゃうぜ と
慌てて朝食用だった残り物のパンを詰め込んで燃料を補給し、艇を出します。

道中の阿波島は泊地としてどうだ? とスカウトしながら帰路を辿ります。
いい感じの砂浜が沢山ある島なのですが、ちょっと陸地から近すぎるかな?
残念ですが使う機会は無いかも です。
ユックリ漕いで出港地に帰着、本日の総行程は32.5kmでした。
結構長い距離を漕いだ筈ですが、超越的に早起きだった事と、
途中の休憩が長かったお陰なのか、さほど「つーかーれーたー。。。」って
感じはしませんでした。
ただ 翌日に、珍しく上腕と臀部の筋にけっこう痛みが出てきましたから、
負荷自体はソコソコ掛かっていたんでしょうね。
おそらく大潮の為なのでしょう、思いもよらない所に急に波が立って、
その度にブレイスして抑えこんだり、リーンさせてバランスを取ったりですから
それが堪えたのかなと思われます。
撤収完了が14時30分、帰り着いたら16時00分 いい休日でした。

記録:キャンプ6/10泊 ・ ぷかり17/30回

今回のツアーの教訓

A)大潮の日のツアープランは30kmまでにしておく
B)大潮の潮位を軽く見ない
C)小さな命も大切に
D)御神籤をバカにしない
28日は大潮でした。
今回は竹原の的場海水浴場から来島までの往復キャンプに行ってきました。
ルートとしては大崎上島の東岸を往復&来島辺りを一回りって形になります。
下の図1 の赤いラインが土曜日の行程、緑のラインが土曜日に伸ばした距離分、
青のラインが日曜日の行程、青のラインから伸びた赤の点線が陸路です。
図1 6月28&29日の全行程

総行程は2日計で約57km足らずです、まあ手ごろです、距離的には ね。
大胆な話ですが、一度「大潮の来島海峡」ってのを見てみたかったんです。
ただし「おースゲーなあ」と眺めに行くのが目的(何しろ観光系ですから)で、
時に10ノットにもなると言うキッツイのに揉まれに行く気は更々有りません。
イイ年をして自分の力量以上の事 すなわち 無謀な事はできませんからね。
 
このルートは これまでも何度かプランしたのですが、断念の連続でした。
このエリアの南北の潮流は、裏しまなみ海道を境に逆向きに流れるんですね。
なので航路のド真ん中で逆潮の中 強引に漕ぎきれる気はしないですし、
かと言って、潮待ちをするプランでは キャンプ地での設営終了が
日没に間に合わなくなるってな、そんな条件ばかりだったんです。

その点で 今回は計算上 行動時間帯に大変旨味があったんです。
出港場所から、今治の対岸で裏しまなみ海道東端の大下島までが16.5km。
追い潮&自分の平均時速6km強&休憩15分で、所要時間合計約2.5時間。
15時30分出港なら、潮流が逆転する18時に潮待ちポイントに到着… 
偶然の賜物なのですが、まるで計ったかのようなタイミングの良さです。
で、実際なのですが、少し仕事が早く終わったので30分程早く、
出航場所の的場海岸に到着できたので、そのまま前倒しで15時に出航。
道中は風も殆ど無く、当初曇天でしたが17時頃から薄日が差してきました。
やはり日が差す中での 6~7月のパドリングは最高に気分が良いものです。
薄日

繰り上げた時間のまま17時10分に潮待ちポイントに到着しました。
上の図1 の赤い「×」の所がソレです。
ノンビリしようかとも思ったのですが… 航路に全然船影が見当たらないのと、
潮止まり近くで 余り潮流の影響を感じなかったの2点の理由で、強行します。
意外とあっさり渡りきり後ろを見ると、ををっ結構な数の船舶、正解でした。

さて当初は今治の先端部「大角海浜公園キャンプ場」に設営する
(上の図1 の小さい赤い丸の所)予定だったのですが、
ここだと明日の初っ端に、逆潮を突いて1時間漕ぐことになります。
現地沖に着いて時計を見ると、18時15分… 時間の余裕も有ることなので、
あと1時間漕ごう!と気合を入れて来島の横にある「小島」って所に変更。
上図の緑のラインです、これで明日の初っ端がすごく楽になります。
独りキャンプは寂しいキャンプですが、こう言った自由度の高さが魅力です。
具体的には「風の顔キャンプ場」と言うキャンプ場を使わせて貰いました。


ココは本来有料のサイトらしくて、勝手に入り込むのは若干抵抗が有りましたが
シーズン中でない為か、トイレは施錠、水道はツマミLessって状態だったので
まあ軒先を借りるだけって事で、御容赦頂こう とコソッと設営。
曇りなので設営が終わった19時45分には、結構暗くなってきました。
来島

今回は独りなので、レトルトのカレーで簡単な夜食です。
食器を洗おうと20時過ぎに浜に出ようとすると、浜がほとんど消えています、
上陸時は広い所で20m以上有ったのですが…
それに つい目の前の潮の流れも上陸時と比べて明らかに速くなっていきます。
うーん 絶対漕ぎ上がれんわあ と 汚れた鍋を手に、しばし見惚れていました。
洗い物の後は その瀬音をバックに今回は、泊地 今治が生んだディーバ、
SuperFryを1時間ほどウクレレで歌い、早いですが21時に就寝。
何しろ翌 日曜日の朝は、潮の都合で4時20分起床、5時出発ですから。
ところが一度寝たら気がついたら朝な僕ですが、無い事に目が覚めました。
時計を見るとまだ1時間程度しか経っていません。
なんでかなとボーっとしていると、聞きなれない音が?よくよく聴いてみると
結構大きな瀬音的なモノで、調べようと出てみると…最盛期の潮流の音でした。
鈍感な僕でも、流石に聞き慣れない危険な音には反応したって事なのでしょう、
こりゃ凄い!と写真も撮ったのですが…暗くて何が何だかな出来でした、残念。
「やはり名高い来島海峡、エゲツナイわあ!」と、独り興奮していました。

ところで今回改めて大潮時の潮位変化の激しさを身を以て知りました。
先に書いた通り「無断で入るのは…なあ」と、ビビり 常識的な僕は、
当初は防波堤内の通路の切れたエリアに設営しようと思っていたんです。
(下の図2の青い丸が予定地、赤い丸は「風の顔キャンプ場」)
図2

ただソコは小枝そっくりに擬態した尺取り虫が、テンコ盛りでした。
最初は あまりにデキの良い擬態&僕の視力が酷いのコラボで
全く気付かなかったのですが、よく見れば30や40ではきかない数です。
それも畳 2枚位のスペースの中にです、げー 。
虫さん

あまりに気味が悪くて、ごめんやっしゃ と上記の次第だった訳です。
で最高潮位の24時前「ドーン ドドーン」って音で また目が覚めました。
なんじゃいな と外に出てみると うーわっ
上陸した時に、高い防波堤やなあ と見上げた壁の8割方が浸かっています、
つまり3m近く海面が上がった計算です。
じゃあさっきの設営候補地のままだったらどうなってたの と、
見に行ってみると 路面と海面のさは、まだ50cm程度有ったので、
浸かってしまう事は無さそうでしたが、大きめの波が来る毎にビシャです。
しかも大きめの波は 10秒に1回位きます。
風はほぼ無風だったので潮流が海底に当って起こす波って事なのでしょう。
尺取り虫がいなかったら… エライ目に遭う所でした。
「これも一つの命、やたらと奪うまい」と、足元に気を付けて
尺取り虫を踏まないように気遣った事での因果応報でしょうか?
じゃあ僕が地獄に落ちたら、下がってくるのは この虫の糸かなあ…
それは それで、複雑。
「エルボーロール考 第1回」では ニコちゃん師匠のMoveを解析して
「バランスからの挙げ」の起動動作と、
「エルボーロールの体幹ズリ上げ」の起動動作は、
極言すれば「肘の曲直の差だけじゃねえの?」との仮説を建ててみました。

それを踏まえて、第1段階として「右肘を曲げてのT字バランス」を練習し、
第2段階として「ダイブしての上記」を練習し、安定させられる様にまでします。
そこまで出来たらロール動作を 第3段階として練習します。
すなわち まず変形T字バランス状態のまま「艇右エッジに左肩甲骨が引っ掛かる」
形となるまで体幹をスライドさせた上で、このままでは再沈モーメントが発生するので
体幹の側屈力と、頭蓋の質量を使って「艇右エッジに背骨までズリ上がる」形に進み、
更にヒップスナップを使って、体幹を 上方の脇下からリードする形で艇上に載せ切る…
これでエルボーロールは完成じゃないか? ってな考察でした。

前回の記事を書いた後で思い出したのですが、
たしか「Quajaq JPN」さん(http://www.qajaq.jp/index_j.html)の主催する
ロールコンペのレギュレーションでの エルボーロールの項目で
「T字バランスからタイミング計って上げてもカウントしないからね(出典未確認…)」と
有ったように思いますし、って事は 肘を曲げたT字バランスから艇に上がる事は、
比較的簡単な事だって言う傍証でもありますよね、ありませんか?。
って事は 逆読みすれば、サイドバランスから肘を曲げた状態で一気に上げれば
それはすなわちエルボーロールだよって事の傍証にもなりますよね、なりませんか?。
ここまで書いてきて、机上での理屈では、何だか今すぐにでもバシっと
挙げられそうな気がしているのですが、さてACTではどうだ!?って話です。

結論から言うと畳上の水練でした、全然ダメ、そもそもT字バランス自体が怪しい。
さすがにパドルやノルサックを持てば静止安定しますが、
フリーハンドでは、右掌で煽り続けていないと顔がギリでしか海上に出ません。
左ハルを左爪先で艇内から踏みつけて、より左に倒せば良い話なのですが
この日はバウストールの練習もしたかったのでポケロケを持って行ってまして
コーミング周辺がボリューミー=高さが有るためシオンより踏み難いんですね、
終わりがけには足底筋が痙攣しそうになったぐらいですから。
30分程でなんとかフリーでも静止安定出来るトコロまで勘が戻ってきたので
「右肘を曲げてのT字バランス」ですが…コレジャナイ感が満載。
以前は腕組みしてもOKだったんだけどな~それより難易度は低い筈なんだけどな~
で、これはNGなのかもですが、左掌を時々煽って浮力を確保してやっとでした。
こんなじゃ無理して先に進んでも意味が無いと判断。
「ダイブしてのT字バランス」は素直に右掌の煽りを使って浮いてくる形で練習。
出来る事は出来ましたが、やはりコレジャナイ感が…
次回は煽るタイミングを見なおしてみるのと、仰向けから左掌で煽ってみるのと、
一旦うつ伏せになってから左掌で叩いて起こすの、3タイプを試してみます。
ああ、先は長い…
バウストールは1回まぐれで出来ました、一瞬ですが。
その後は2度と出来ませんでしたが… 立ちそうなトコロまでは行くのですが
どこでどうバランスを取れば良いのかが、まだ全然です。
あるいは、バランス練習のためにフィッティングを甘々にしているのが
そもそも間違っているのかもしれませんが。
これまた、先は長い… 還暦までにできるかな?です。

で、どんな一日だったか です。
「雨が降ると濡れちゃう~」とキャンプを中止して暇になった22日の日曜日に、
これらの 仮説、考察、傍証を引っ提げて、いつもの浜に正午から練習に行って来ました。
この日の夕方は娘キノコの塾の面談予約をしていたので、近場にGOな訳です。
曇天模様

この浜は出港所としては御機嫌なのですが、練習場所としては少し苦しい点が有ります。
BODとかは そんなでも無いかもしれませんが、何しろ瀬戸内の潮流の分水嶺であり、
しかも高栄養を誇る芦田川の河口すぐ脇ですから、海水の透明度が皆無に近いのですね。
さていつもは殆ど無人の浜なのですが…子供達と保護者さん方で結構賑わってました、
なんでも「田尻を愛する会」と言う地元愛の啓蒙活動だそうです。
邪魔にならないように一つ隣の浜に移動して練習です。
移動先の入江のほうが深いからなのか、水はさらに透明度を欠いていて
3ケ月位水を変えていない金魚鉢の中の様なありさまです。
まあ瀬田川みたいに傷が何時までも治らずにグジュグジュするような実害はないから
時間がない時はココを練習場所にしていたのですが、実は今回はソレが裏目に出ました。

僕の腕時計は1万円足らずで買ったprotreckの一番安価なタイプ「でした」。
水に浸かる事を前提とした練習だと、どうしてもパドジャケの袖に海水が貯まります。
腕時計をしていると、排水が煩わしくなります。
従って練習の時はスカートの上面バンジーに留めていたのですが、落としたようです、
艇を挙げてふと見ると『無いじゃん!』、一瞬前までは確かにそこに有ったのに。
ロックが外れているのに気付かず、フロント起きの際に体でズッた時に外れたと…
うーん 考え難いんだけどなー、でも無いのは事実だしなー。
30分ほど落下地点と思しき辺りを探しましたが、何しろ「透明度ゼロ」です
徒労に終わりました orz。
ひとしきり探して体が冷えた事と、お気に入りの時計を無くした事で、
やる気メーターがゼロに、予定より30分早く切り上げて14時30に撤収です。
そして綾小路きみまろ氏の言う通りでした、
悪いことは重なるものです、タオルを忘れて体が拭けません、Tシャツで代用します。
悪いことは重なるものです、車庫に車を入れる際に側面下部を擦ってしまいました。
悪いことは重なるものです、タンスの角に足の小指をぶつけて爪が割れました、痛い。
悪いことは重なるものです、チワワが腹を下して布団の上に点々とビチットが…
あまり 良い週末とは言えなかったですね、こりゃ。
これは今回は近場だからだと舐めて掛かって、ケーキもコーヒーも持たずに
スパルタンにストイックに練習だけしたら、とっとと帰ろう などと
観光系カヤッカーに有るまじき心掛けだった事への祟りではなかろうかと。
これからは心を入れ替えて、より軟弱に、より多くのACTをパラレルに
取得するべく精進しなくっちゃ と改めて心に誓いました、許してね 観光系の神様。

そうそう、面談内容ですが 娘の志望校については心配は要らないから、
親は このまま勉強の「邪魔をしないように」と だけ 御指摘を賜りました。
5月の運動会の応援団で、勉強の為の時間と体力を削られているのを
横で見ていましたから少し心配だったのですが、まずは一安心。
前期:岡大、後期:広大 で進めましょうって事で方針を確定。

記録:キャンプ5/10泊 ・ ぷかり15/30回 丁度目標の半分ですな。。。


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