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広島・岡山 での シーカヤック & その他 を記録します。
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プロフィール
HN:
けいた
性別:
男性
職業:
職人
趣味:
カヤック ウクレレ ピアニカ 漢方
自己紹介:
後期中年の自営業
3シーズンは 海にキャンプへ、
冬は おうちで漢方の勉強、
そんな日々を過ごしています。
今の愛艇は ノーライト シオン。
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最終週とは言えまだ8月 夏の余韻も色濃く残っています
つまり、後期中年の僕は夏バテ傾向がまだ抜け切っていません。
なので今回も 近場漕ぎのキャンプ&ロール練習のプランとしました。
エリアは塩飽諸島の 本島、ゲレンデは北岸にある屋釜海水浴場です。

瀬戸大橋の西側で遊ぶ時はいつもココよねな高室漁港からの出港です。
仕事を終えて13時に福山を出発、途中渋滞に会ったりして心配でしたが
待ち合わせの5分前には到着できて一安心。
この日は中潮とは言っても干満差260cmと、
先週の日曜の大潮の干満差279cmと変わりなくパワフルだったせいでか
かつて見た事が無いほど潮が満ちていて楽々のパッキングです。
土曜日の午後の潮は下げなので、このエリアでは 南流かつ東流になります。
14時45分に出発、満潮が13時42分ですから下げのパワーが
そこそこ強くなってきてる時間帯です。
しかも備讃瀬戸に向けて漏斗の口のように絞りが入る場所な為
潮流が集中してパワフルなエリアとなりますから六口島に渡るまで
結構東に流されます、幸い流されはしたものの反対流が強烈で
気がつけば元のラインに戻されて「行って来い」で結果オーライな感じ。
それ以上にキツかったのが六口島の西岸の海況で
潮流が真正面からぶつかって跳ね返るからなのか荒れて仲々大変です。
でもこの西岸さえ越えれば距離的にも目の前ですし、
嘘みたいに穏やかな海況に一変します、いや不思議やわあ
距離も近しで 7km足らず、1時間少々の16時に到着です。

しかし実は本島については気になる情報が事前に入っていました、
「本島イルカ村」なるものが6月から開設されているとの事だったのです。
http://www.honjimairukamura.com/index.html
おそらく地図からして 泊地の真横になると思うのですが、
ソコでキャンプしても良いのか?「向こう行ってくれ!」と言われないか?
それが不安要素だった訳です。
結論から言えば「真横」でした、でも最終受付が15時で事務所に人気ナシ。
じゃあ生簀で立ちションでもしない限り大丈夫でしょって事で、テントを設営。
ダメそうだったら、ここから更に1時間強移動して坂出の端 沙弥島で
キャンプしようと思っていたんですね。
そこも良いかんじのキャンプ地ですから、これはまたの機会に。

この本島からみる景色が僕は備讃瀬戸でも一等賞に好きでして、
時間的には充分練習が出来る余裕が有ったのですが
ボーっと景色を眺めてるうちに、一杯やりたくなっちゃいまして
普段飲まない僕には珍しく、早めの酒盛りに突入です。
酔えば歌も出るってもんで、ボエーとやっていると 
「キケケケ」との声が!イルカのようです、五月蝿いンか?すまんの。
20時過ぎになってかなり酔っ払ってボーっとしていると 遠方で花火が…
帰ってから調べてみると、あさくち花火大会だったようで
寄島園地で打ち上げていたようです、いや往く夏を堪能させて頂きました、
夏の終わりにイルカも心が騒ぐのか、時々ジャンプをしておりましたな…。
花火が終わるのを待って この晩は解散、日が落ちると少し肌寒いようで
シュラフを布団代わりに掛けて丁度でした、あーもうじき寒くなるなー。
去年は10月の終わりまでインナーがフルメッシュのBUNDOKソロを
強引に使っていたのですが(加島だったかな)、寒くてかなわんかったです。
来島キャンプの時に壊してしまった3シーズン用のBUNDOK17の替えを
そろそろ見繕わなくっちゃ です。
夜半に結構風が出て、バタつくフライの音で目が覚めたついでに小用…
時計を見れば深夜3時、結構外は寒く、空を見ればオリオンの三ツ星、
あー冬の星座が見れるようになったなー と、ここでも秋を感じます。

てな おセンチ気分な夜だったのですが、日が昇ると話は変わります。
暑くって目が覚めました、おかしいやないかい寒かったんちゃうんかい!
ブツブツ言いながら朝ごはんです。
今回はリョーユーパンのハムマヨパンと、アップルパイです。
ここの惣菜パンは パサっとした食感が嫌いで避けていたのですが
残っていたのがソレだけだったもので、やむなく。
しかしこの商品についてはチーズが生地に練り込んであるとかでGJ!
コクもシットリ加減もバッチリで お薦めです、美味しかった。
片付けをしつつ、練習の準備をしていると 安室の歌声を響かせながら
モーターボートとJETが 1グループ、側の浜に、
遅れてもう1グループ、別所帯だったようで浜の反対側に腰を据えます。
うわー JETブイブイだとバラキさんの機嫌が悪くなるぞ~と
思っていたら豈図らんや、普段通りでらっしゃる。
先週の日の出海岸で免疫が出来たのかも です、仲良き事は美しき哉。
その上 JETの推進力をチューブに通して空中浮遊するアイテムを見て
「あれなら騒いでもOK!アリアリ」と非常に好印象だったようです。
正直僕もやってみたかった、あれってグアム旅行とかのオプションで
選べるんですけど$130とかするんですよね…
←フライボードって言うそうな(画像はイメージ)

僕的にも 船では安室を鳴らしても、ビーチでは鳴らしてない彼らだから
「をを!TPOとかメリハリが判ってんじゃんよ」と好印象でして、
話し掛けてみると友好的かつ丁寧な物言いで、更に好感度UPでした。
空の散歩や、ビキニ姿の娘さん方に時間を忘れて見とれていると、
2~3ファミリーがイルカの生簀に、時計を見ると既に9時。
急いで練習を始めたのですが、酒が残ってる?夏バテ?どーも重い、
1時間を2クールやったのですが、いまいち不完全燃焼で終了、
やはり土曜日に30分でも体を動かした方が良かったのかもと反省。
正午を過ぎた辺りで練習を切り上げて帰り支度をはじめます、
その間にも結構、イルカ生簀には人が来ます 仲々流行ってるのかも、
島興しの一環だそうなので、息の長い活動になれば良いですねえ。


帰路ですが、失敗しました。
「近場だし~ 見知った海域だし~ 確認しなくても迷わんし~」と
地図もプリントしなけりゃ、ナビも出さずの挙句の果てです。
上の図1の青いラインをトレースして帰る予定だったのですが、
図2の通りS形の長島の左半分を六口島の東端と見間違って
長島はオレンジ色の大きさの島と勘違いしていた為の失敗です、
図2の緑の点線で進んでいるつもりで実は緑の実線の様に
長島を大回りしている事に「×」のポイントで気が付きました。
結局500m程遠回りした事になるのですが、西流に流される分の
マージンを取ったと思えば、悔しくなんかないやい。
ご一緒頂いていたバラキさんには
「あいつ…どこに行く気?」と思われたかも。

そんなでこの週末も、イルカと触れ合いJETの若者と触れ合い
体力も大して削らずに多美島の景色を楽しめた、い~週末でした。

なお今回はイルカちゃんをはじめナイスなフォトを沢山撮ったのですが
うっかり電源が落ちてない内にカメラからSDカードを抜いちゃったもので
全データーがぶっとびました ORZ…

記録:キャンプ10/10泊(ノルマ達成) ・ ぷかり26/30回
(総移動距離が10kmを越えたので、漕ぎのカウントもヨシとしましょう)
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今頃になって8月最初のテントで迎える朝でしたが 今年の夏は涼しくって、
例年のように汗まみれで目覚める事も無く快適な夜明けでした。
雨が深夜1時頃降るぞとか、いや7時頃だとか情報が交錯していましたが
結局 ガンガン照りでもない、真夏のキャンプには最適な薄くもりの朝です。
寝ぼけた頭でパンと 体脂肪を減らすマテ茶で朝食です。

薄曇りの7時
降るのかどうだか 微妙な雲行きでしたが、取り敢えずテントの撤収を。
度重なるカーゴルームの浸水に懲りて 遅れ馳せながら、
キャンプ用品の収納は全て防水素材にパッキングするようにしましたから
雨が降った所でテントさえ片し終わっていれば、さして問題になりません。
荷を積んだら何時でも出発できるトコロまで形を作って 今日の練習です、
9時~と10時30分~の、1時間×2本の練習予定で始めます。

宿題にしたハンドとバックデッキロールは 動きを 一つ一つチェックした上で、
精度が低くなっている点を修正したら、あっけなくパカンパカン挙がるように。
連続ハンドも5回まではOK、ただし3半器官の問題で それ以上は無理でした…
なお止めた瞬間目が回って、コケた挙句に沈脱しかけたのは内緒。
そんなで 既に出来ていたロールのブラッシュアップって点では無問題でしたが、
やはりエルボーロールについては とっかかりすら見付かりません… ORZ。
もう一つの宿題だったバランスも、日曜日にはパドルレスでも問題なしでした。
では と、ハンドロールを途中で止めてからのバランスも試しましたが
これもキレ良く出来ました、う~ん 土曜のダメっぷりは何だったんだ?です。
恐らく「力を抜くべき所で抜けず、入れるべき所で入れられておらず」が
具体的な理由だったのでしょうけれど、じゃあ何故そうなったのよ?です。

思うに、そもそも僕は運動神経が他人より可哀想な生まれつきなので、
柔道でもカヤックでも、一つ一つの動きを 理屈で解析してから、
文字に起こして、それを頭で理解して、やっと体が動いてくれるんですね、
その上で反復練習を根気良くやって やっと人並みに定着させられる と。
「なーんで そんな2度手間3度手間な事を?」な過程が必要なんです。
ましてやエエ加減おっさんになってきてて、体力も集中力も低下の一途ですから
上記の傾向は 2次曲線を描いて絶賛増大中です。
なのに久しくやっていないムーブを、練習前に一度理屈で浚わなかった事、
コノためにイメージと体が一致して動かなかったのかなあ です。
だから「昔は片手で100kgの相手を投げた」「昔はハンドでバンバン挙げた」
そして「しばらくやっていないけど、今だってやろうと思えばスグ出来る」ってな
「俺の若い頃は…」系の話が スラスラ出る人は、色んな意味で羨ましいですね。

そうこうしてる間に我々の練習する入江に、みなさん20台位かな?
今風の男子達を5人乗せて、1艘のモ-ターボートが入って来ました。
見るとはなしに見ていると、大型テントを立て、BBQセットを組み、
宴会の準備を粛々と進めていきます。
その様子は全く「粛々と」でして、馬鹿笑いも、ズンドコズンドコな大音量も、
タバコの投げ捨ても無くって、いっそロールの練習をしている私達のほうが
ゲハゲハとウルサイんじゃないか?って位のモノです。
一通り設営が済むと、一人が操縦して何処かに去って行き、
残りの子達は積んできたエアものを漕いだり 日向ぼっこをしたりと、
これまた極めて穏やかに 慎ましやかに、夏の海辺を満喫しています。
バラキさんが京の上臈島から離れた理由が、
JET族達の無頼な我が物顔が気分が悪くって と聞いてたモノで、
「こいつらだってきっと喧しいんだぜ~」って構えていたのですが、
なんだか肩透かしを食らったようで、尻の座りが悪いです。
やがてモーターボートは数人の女の子を積んで戻ってきました。
ああ これで娘さん達の黄色い声と、今度こそ大音量の音楽と、
ソレに迎合する若い野郎共の馬鹿笑いに、BBQの煙が… あれれ?
こちらに漂ってきませんね、やはり僕達2人の方が喧しい位です。
-あちらの青年たちは おとなしいですね
-そうですね、きっと例外的に おとなしい子達が集まったのでしょう
などと遣り取りを交わしつつ、正午過ぎに撤収、出港。
この出港前に 微妙に雨が降ったり止んだりだったのですが
遠雷ではあるものの 結構本格的にゴロゴロと聞こえてきます、
見れば備前方面の空がエラク暗い!ピッチも上がるってモノです。
屏風島の岬を越えると今度は別の爆音が聞こえ出します、JETです。

イメージ1
話は変わりますが、岸和田のダンジリでは、あまり軽々しく
山車を曳いている男衆や、エキサイトしている見物人に
レンズを向けるのはマズイのよ、と聞いた事があります。
これは個人情報保護の観点と言うよりも、知らずに指名手配犯の姿が
映り込む事があまりに多くって、撮影者の身に危険が及ぶからだそうです。
日の出浜の話に戻ります、えー 諸般の事情で写真は撮っていません、
上の写真はイメージ画像ですが、まあ大体こんな感じ。
ただJETを楽しんでいる彼らについてですが、僕達の艇の進路を横切って
殊更に邪魔する訳でも無いので、僕的には別に気になりません。
まあ排ガス臭いのは確かですが、僕も福山から玉野に出てくるのに
道中散々排出している訳ですから、それは咎められませんしね。
で、浜ではJET族御一行様なのでしょう、3~40人位のグループが
自立式タープを6~7台出して BBQを楽しんでいました。
ただ それについても、浜を完全に占拠している訳ではなくって
両端には他の「堅気の」グループが楽しめるように場所も譲っていました。
お陰で上陸も極めてスムースで 、特に不快な思いは僕には無かったです。
アルコールやドラッグをキメてる風なラリラリ野郎も見かけませんでしたし
なによりJETのノイズ以上に忌んでいるズンドコを鳴らしていない点で、
バラキさんが忌まれる程には気に障りません ってか問題なし です。

イメージ2

とは言え、江戸時代の某高級官僚をリスペクトしているらしく
おせなに綺麗な絵を描いている男性が複数おいでな点や、
あるいは、将来そちらの道に進ませたいからなのか自分のお子さまの髪を
某有名ゴルファーと同じ型にさせているのを見るにつけ、
正直こちらから 御友達になりに行こうとは思いませんでしたけども。
アフリカのサバンナの水場でライオンとシマウマがバッタリ出会うと
その時、その場所では 襲う襲われるって事にはならずに
お互いに知らん顔をして、無かった事にして立ち去ると聞いた事が有ります。
僕自身今回のツアーで、日の出浜と、直島諸島がイタク気に入りました。
従いまして、JET族がたむろってる日の出を あえて避けるではなく、
お互い無縁の物として 今後も共存していきたいな と、思った次第です。
バラキさん!また行きましょうね。

記録:キャンプ9/10泊 ・ ぷかり24/30回
(漕ぎのカウントは、まことに心苦しいけど…)
8月23&24の土日は久々にカヤッキングを楽しみました。
最後が尾道の花火大会の日ですからほぼ1ケ月ぶりと言う事になります。

娘キノコがセンター試験や、志望校の2次での場慣れの為に
アウェイな雰囲気の中での模試を体験しておきたいとの事だったので、
地元福山では開催されない=顔見知りがほぼいないであろう
代々木の第2回全国模試を24日に岡山市で受けるとの事でした。
ならば岡山エリアでキャンプして、撤収後 代ゼミまで迎えに行って
その後に これまた福山にはまだ来ていない(10月にオープン?)
びっくりドンキーで飯でも食うか ってな流れに。

7月12&13日の鼻栗瀬戸で苦行を共にして以来ですから
これまた久々なのですが、バラキさんに御一緒頂く事に。
趣旨は「夏バテが抜けてない&久々なので 近場漕ぎで行こう」で、
「『距離』『探検』よりも『練習』」で 過ぎ往く夏の海を満喫しよう です。
キャンプ地としては直島諸島の「京の上臈島」「局島」「豊島」辺りを
私の希望としてバラキさんに上申しました。
この辺は僕にとっては「馴染みがない=ワクワクできる」エリアなのですが
バラキさんにとっては、かつてホームにしてらした一帯です、
「行き飽きてらっしゃるかな?」と言い出し難かったのですが、
意外にも快諾頂き、検討の結果「京の上臈島」に決まりました。

さて問題が出港場所です。
日の出海岸が直近の出港可能場所なのですが、
夏期はJET族御用達の浜だそうで、バラキさんは気乗り薄です。
では と言えば、日の出の西の 向日比の浜になるのですが、潮が悪い。
土曜日は問題ないのですが、日曜日の9時には転流してしまうんですね。
そうすると、大潮の逆潮の岬越え ってな3重苦と戦っての帰港となります。
7月あたまの女木島キャンプの時も、この岬の潮流には結構悩まされましたが
これとの真っ向勝負は、夏バテ気味の後期中年としては勘弁頂きたい と。
そんなで、渋るバラキさんを寄り切って 結局、日の出からの出港となりました。

土曜日は例によって仕事ですから「何時に到着できるか読めません…」なので
先出して下さって結構ですと、バラキさんには連絡しておいたのですが、
有り難いことに「待っていてやるよ」との御返事に、
では15時には到着出来るように努力します と返答。
土曜日は福山を13時過ぎに出たのですが、
やはり日の出海岸は遠くって、がっつり2時間近くかかります、
到着できたのは14時45分でした… あれバラキさんがいない?
… ん~っ どっかで見た光景、言った様な台詞ですなあ、デジャブ?
いやいや違います、見近島キャンプの時のノリです。
あー なんかトラブられたのね~ と思って、先に用意をし始めていると
3分も経たないうちに、バラキさん登場。
なんでも20分ほど前に一旦宇野近辺まで来てから、
パドルの積み忘れに気付いて引き返されたとか イヤイヤお疲れ様です。
でも今回は潮目にピリピリする必要も無いし、何より距離が2kmちょっと、
ツアーって名乗るのが 恥ずかしい位の近場漕ぎなので、無問題です。

浜景色
で、積込みを始める訳ですが 「もーねっ、酷いんだから!」と聞いてた割には…
ファミリーが3ユニット程、子供達をおとなしく遊ばせている
ごく当たり前の 穏やか~な浜景色です、何がイカンのやろ?です。
疑問をブツケてみると「いやいやコレは正しい景色ですよ、勿論ね」
「問題は日曜ですよ… まあ楽しみにしといて下さい」との事、うーんそうかあ。

そんな穏やかさの中で15時35分に出港、キャンプ地に16時丁度着 早っ近っ。
でも若干ですが道中逆潮のエリアが出来ていて、その中で本気で漕ぐと
まだ肘に痛みが出たので、この短い距離で丁度良かったのかも です。
しかし「京の上臈」と言うだけあって、なかなかハンナリしたエエ感じの浜どす。


さっさとテントを張って小休止の後、17時から1時間ほど一通りロールを練習。
バラキさんは睡眠不足との事で 無理をせずに その日は瞑想されていました、
悟りを開いて 空中浮遊される日も近いようです。
幸いロールのムーブは特段肘に負担にはならない様で、その点はOKですが
シングル同側ハンドと、バックデッキの挙げが重くてイマイチ納得が行きません。
さらにNGなのが、サイドバランスがダメダメになっていて
ノーパドルではスカーリングを入れないと、顔が沈む沈む。
腰の深部筋が固くなっているのか、力の抜き方を忘れてしまっているのか、
体幹を水面に対して充分にCloseできません。
粘ってもムリそうだったので「今日はダメ」と諦め、明日への宿題とします。

晩御飯は 日清のミゴレンゆで卵乗っけ に、冷えたエビスビールと、
QP野菜スティック用ディップwithキュウリ&セロリです、中々夏っぽいでしょ。
ひとしきりバカ話に花を咲かせた後は、例によってウクレレの練習です。
ここで「どうせなら荻野目ちゃんを次回は演れヤ」とバラキさんからオーダー。
なぜ21世紀の今に荻野目洋子?とも思いましたが
バラキさん曰く「歳を重ねて大人の魅力が醸し出されてきた」そうな、ふーん。
ちなみに代表曲は「ダンシングヒーロー」ですよバラキさん、
「ダンシングクイーン」はABBAですから YouCanDa~nce♪
そんなこんなで夜は更けていくのであります 続きます。
先週末は お盆でバタバタした&天気がダメダメだった ので、
ツアーどころか 練習に海に行くことも無く 終わってしまいました。
おかげで長距離漕ぎで痛めてた肘も、ほぼ回復しましたから
今週末は久々にカヤックを楽しめそうです って1ケ月乗って無いな。

さてそんなで今週は漢方の2回目ですが
学術的な話に入る前に 先に用語を統一しておきましょう。

まず「東洋医学」とは、そして「漢方」とは何を指して言うのか?です。
「東洋医学=中国医学である」と捉え勝ちですが、あくまでもそれは「狭義の」です。
本来はもっと広義に「西洋医学」に対する対義的な位置 と捉えるべき言葉なので、
そうなるとそこには、インド医学やタイ医学も含まれる事になります。
つまり
日本でよく言う処の東洋医学 即ち「鍼灸按摩湯液治療」は厳密に言うならば
それら東南アジア系医学を除いた「中華系東洋医学」と呼ぶべきなのでしょう。
それではいかさま長いので、今後このブログの中では「漢方」と書かせて頂きます。
そして本来
「漢方」とは「和方(日本古来の民間療法)」との対立的概念であり、
日本から見た中華系東洋医学についての総称である点に注意すべきだと思います。
なので「和漢の生薬配合」とかは、実は漢方の湯液治療のレシピじゃないんですね、
あれは「日本古来の民間療法を応用したレシピですよ」って表示なのですね。
なんだか響きだけだと「日本人の体質に合わせた漢方のレシピ」のようですが。

次に「治療」の本質とは何か?についてです。
これは漢方に限った事ではないでしょうが「医療=人の体を治す」の本義とは
「健全を知り、その恒常性を保つシステムである生理を理解した上で、
 病の原因つまり病理を考察し、その解除に拠って、健全に近づける」ことでしょう。
ただ病理を構成する要素の捉え方は、採用する医療体系の底に流れる
思想や哲学と、それ
に基づいて、症状を認識する際の切り口の違いによって
「本当に同じ人の同じ症状の話をしているの?」と思う程 様々な様相を見せます。
例えば シャーマン大が教えるD,J,パーマー直系のカイロプラクティックは
体の不調の全ての原因と施術点を、上位頚椎の変位に求めていますよね?
「施術者の行うべきことは、ただアッパーサービカルをアジャストするのみ!」って。
一方 連動操体法なども 私の手元の映像を見る限りでは、
すべての事象の原因と施術点を、腸腰筋の変位に求めると言った具合です。
では一方は出鱈目で、他方は真か? 一方は効いて、他方は気休めか?と言うと
そうと限らないのが治療の面白い所で、どちらも上手が施術すれば効くんですね。
それは何故だろう?と悩んだ時期も有ったのですが、思うに 治療の出来、不出来は、
手先の器用さや、オカルトな力の有無ではなく、各々のテクニック固有の認識の下で、
ゴールとなる健全と、その阻害要因を、イメージした上で施術出来ているか 否か
偏にソコに関ってくるモノだと、現時点では考えています。

そして漢方です、ここでは
人体の構成要素を「気」「血」「津液(水)」と捉え、
その過不足が健全である事を邪魔する要因=病理として働くと、認識しています。
人体の正常な営み つまり生理と、「気血津液の過不足」の発生原因 つまり病理を、
口伝ではなく、
言語化させて残すに当り、客観性科学性を持たせるツールとして
素問 霊枢 難経が成立した漢代前後頃の東アジアにおいて、
最先端の科学的思想であった、陰陽論と、五行論が用いられました。
だから「効く漢方治療」、最悪でも「却って悪化させない漢方治療」を行う為には
患者の気血津液の乱れを、陰陽・五行のバランスを整える事で正すイメージを
いかにリアルに、いかにブレずに持つかが大事になって来る訳です。

さて次に陰陽五行のうち「陰陽論」について紹介します。

「陰陽思想」の書では 四書五経の一つ「易経」が有名です(難解さでも有名です)。
哲学に限らず、真理を探れば抽象的に為らざるを得ず、従って難解になりましょうが、
そのスタート地点は素朴な生活実感に根ざしたモノだった筈です。
そう考えると思想とは、そこの住人の生活の上に、各々独自に育っていく物であり、
中国の思想なら中国大陸の地理的な条件が、強く影響している筈です。
インド、ギリシャ、エジプト等も、同様に北半球にあり、古代より文明が発達しましたが
これらと中国の間で 哲学、そして医療体系に大きな違いが見られるのは
中国が温帯モンスーン特有の明確な四季と、それが培った生活観の
影響を受けたからでしょう。

定着して農耕を基盤に生活するには、「適当な暖かさ」「適当な水分」が必要です。
それは 天が 適切な時期に 適切な量の光と熱量を与えてくれる事と、
さらに 地に 適当な水分が含まれている事 と言い換えられますが、
それらが「適切である」には メリハリの利いた四季の巡りの存在が必要となります。
このような生活環境の中で、生命を宿らせ、育んできた人々は理屈以前の実感として
「天の気(陽気)」「地の気(陰気)」の係わり合い、鬩ぎ合いと言ったものが、
生命の本質であるよなあ と考えても不思議では有りません。
こうして「見える物は見えないモノが生み出す」「形ある物は形ないモノから生ずる」
と言った感覚がコアな部分に産まれ、やがて「気」「陰陽」と言った概念が醸成され、
まずは
生活実感を元に、単純な2元論である「陰陽論」が生れたと思われます。

例えば「なぜ昼は明るくて、夜は暗いのか」「なぜ日陰は寒くて、ヒナタは暖かいのか」
と言った 身の回りの自然現象に対する素朴な疑問から始まったのかもしれません。
やがては「なぜ同じ種を蒔いても、実る時期と 枯れてしまう時期が有るのか」や、
「なぜ同じ場所に網を打っても、大漁の時期と不漁の時期が有るのか」と言った
生産活動に必要な情報を積み重ねる内に、
「古老の智恵」や「村の言い伝え」から
やがて何らかの洗練された法則へとステップアップしていった事でしょう。
いつしかそれは「暦」としてシステム化され、文章化され、さらにその裏付けとして
科学性が求められて行く過程で、やがて「陰陽論」は洗練されて行き、
遂には 物質の根本を「気」と捉える概念を持ち、
万物は「気」の循環により存在し得るとする「陰陽思想」に昇華したとされています。
「全能の神が陰陽論を人類に与え賜うた」と語り継がれている訳ではないのです。
やがてそれは単なる実務情報から、人生の指針の根拠や、
政治的な正当性の保証と為し得る哲学へと昇華したのでしょう。

そして少なくともルネッサンス期までは、間違いなく漢人達は、
その科学的な宇宙観から思想界における世界のトップランナーだったと言えます。
勿論 現代人の科学に裏付けされた合理的な解釈と言ったフィルターを通すと
陰陽で「人生の指針を決めたり、明日の行動の参考にする」のは
迷妄的ですし、
またその思想の中には無理やりな辻褄合わせや、
その理論が破綻を来さない為にのみ存在する「理論の為の理論」の部分も
結構含まれているのですが、あくまでもその根は「神秘的」「唯神的」ではなく
「科学的」「唯物的」な態度だと理解するべきでしょう。


さて現存する文書で、思想表現としての生命観に陰陽論の前提条件である
「気の概念」が最初に見られるのはBC280年位の『荘子』外篇「知北遊」にある
「人の生は気の集まりなり」「気が集まれば生じ、気が散ずれば死す」です。
そしてこれが21世紀の現在まで、漢方の哲学的な拠り所となっています。

さて「呂氏」とは「奇貨居くべし」の言で有名な、始皇帝のパトロンだった人ですが、
この人が編纂させた百科全書『呂氏春秋(BC239に完成)』を紐解くと
気の集散が生命の誕生、存続、消滅に関係するという考えが、
当時の医学に強く影響を与え
た事が分かります。
たとえばその中の「達鬱(『鬱滞を伸び伸びとさせる』という意味)篇」を見てみると
「身体が動かないと体内で気が鬱滞し、気の流れが滞ると、そこに病気が起こる。
 例えば目に行くべき気が何処かで鬱滞すると、目の病気が起こる。」とあります。
そうなる根拠として「流水は腐らず、戸枢は螻さず、動けばなり、形気も亦、然り」
つまり「流水は腐らない、戸の軸は虫が食わない、理由は『動くから』だ」とし、
そして「水が流れ、戸が動くように、気を動かす仕組みは何か?」についての
理論的な背骨を、彼らは「陰陽論」に求めた訳です。

陰陽論の成立の背景はココまでにして
次に陰陽論における一般的な陰陽の概念についてお話しします。
ロビン・ウィリアムズ氏が亡くなったそうです。
今の所公式発表は「窒息死」とだけなのですが
長年鬱と闘って来たとの事ですから、おそらくは…。

以下引用

アメリカでコメディアンや俳優として活躍し、1997年にアカデミー賞の
助演男優賞を受賞したロビン・ウィリアムズさんが、西部カリフォルニア州の自宅で
死亡しているのが見つかり、捜査当局が原因を調べています。

ロビン・ウィリアムズさんは1970年代からコメディアンとしてテレビ番組などに出演し、
その後、演技派俳優として頭角を現しました。
1997年に公開された、心に深い傷を負った青年と心理学者の互いの成長を描いた
映画「グッド・ウィル・ハンティング旅立ち」で、心理学者役の演技が高く評価され、
アカデミー助演男優賞を受賞しました。
また、1993年公開の映画「ミセス・ダウト」などで、ゴールデングローブ賞の
主演男優賞に3度、輝きました。
ウィリアムズさんは現地時間の11日、アメリカ西部、カリフォルニア州の自宅で
死亡しているのが見つかりました。63歳でした。
現地の捜査当局は、ウィリアムズさんは自殺した可能性が高いとみて、
原因を詳しく調べています。
アメリカのメディアは、ウィリアムズさんの代理人の話として、
ウィリアムズさんが、重度のうつ病だったと伝えています。

引用ここまで

僕にはロビンウィリアムスの出演作は「演れば見る」の時期がありました。
最初に彼の芝居を見たのはデニーロ目当てで足を運んだレナードの朝でした。
をを いい役者じゃんとビデオで「グッドモーニングベトナム」や
「いまを生きる」を見てハマりました。
それ以降毎年のように彼が出演し、ほぼ主演を張った映画たち
具体的にはフック、ミセスダウト、ジュマンジ、グッドウィルハンティング、
パッチアダムス、アンドリューNDR114を見に通ったのは もうはるか昔、
ミレニアム前の事です、ええ 昔はよく行ってたんですよ映画。
仕事が忙しくなってきたのと、他の遊びに忙しくなり始めた
2000年頃から映画自体見に行かなくなってしまいまして。
そんな日々の中で、久々に彼の事を思い出したのは
妻夫木聡のグリコのCMを見てでした。
「あ、コレってパッチアダムスのオマージュね」
「をを そういえばロビンウィリアムズ最近聞かないなあ」。
もうその頃、彼の病魔との闘いは、かなり厳しい局面だったのかも です。

惜しい人を亡くしたと思います。
彼の最新作はもう見れないと思うと、殊更にその想いは募ります。
この盆休みはパッチアダムスを 娘キノコと一緒に観て、
彼を偲びたいと思います。



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