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広島・岡山 での シーカヤック & その他 を記録します。
プロフィール
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けいた
性別:
男性
職業:
職人
趣味:
カヤック ウクレレ ピアニカ 漢方
自己紹介:
後期中年の自営業
3シーズンは 海にキャンプへ、
冬は おうちで漢方の勉強、
そんな日々を過ごしています。
今の愛艇は ノーライト シオン。
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さて前回で陰陽論の背景の説明は終わりです、今回からは各論的な事を。

陽と言えば 
明、男、積極的、攻撃、肉体、外側、前、上、左、表、日、晴、昼、天、熱、奇数、利益、動、味方、
夏、南、背、高 と言ったイメージになります。
陰といえば 
暗、女、消極的、防御、精神、内側、後、下、右、裏、月、雨、夜、地、冷、偶数、損失、静、敵方、
冬、北、腹、低 と言ったイメージになります。

易経」が語るところでは、この世の原初は混沌でした。
この中から光に満ちた明るい澄んだ気、つまり陽の気が上昇して天となり、
この中から重く濁った暗黒の気、つまり陰の気が下降して地となったと説明しています。
そしてこれらの働きを理解すれば、すなわち万物の成り立ちの理解が可能であり、
それを用いて未来予測までも可能としています。
そして森羅万象は 正・反の両面つまり、陰・陽の性格を内包し(「万物は陰を負い,陽を抱く」『老子』)、
これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない表裏一体の存在と考えます。
そして陰陽は互いに対立するが故に、消長盛衰する関係にあり、
その関係を通じて陰陽の気が調和して 初めて自然の秩序が保たれる事が
宇宙の基本法則であると(「一陰一陽これを道と謂う」『易伝』)古代の漢人は考えたのですね。

また陰陽論における二元論は、一神教社会における 善悪二元論とは話の次元が異なります。
上記の「陰気」の説明の「暗黒の気」なんて、もうどうしようもない「悪!」って感じがしますが、
「質量が豊富であるが故に、相対的にエネルギー(光・熱)量が少ない状態」が、正しい認識です。
陽が善、陰が悪と絶対的なモノではなく、陽は陰が、陰は陽が有って初めて存在できるモノです。
陰陽論においては、純粋な陽なり陰なりと言った存在は、概念の上以外には存在せず、
実存する物は 陰と陽の性質を内包しつつ、その内包量の比較の問題によって
統一された 一つの物質としての、陰なり陽なりの性格を表に現す事になります。

例えば気温20度で、水温10度の冷水は「陰」ですが、これに陽である熱を加えると、
20度のヌルマ湯で陰陽半ばの存在、40度の湯になれば 「陽」が勝った存在となります。
これは「水と湯」の関係だけを見た場合の陰陽変化ですが、陰陽は絶対的な基準ではなく
他と比較した関係性の中で成り立ちますので、「陽」である筈の40度の湯であっても
真っ赤に焼けた(500度位でしょうか)鉄片にザブンとかければ「陰」の役割となる訳です。

よく混乱の元になるのが「湯液における陰陽の表現方法」についての誤解です。
傷寒論に基づく湯液の運用に際しては、陰陽を用いて「病状の進行度合い」を表現します。
初期の急性症状は「太陽病」と呼び、葛根湯などを投与する時期なのですが
それが進行するに従い「→少陽病→陽明病→太陰病→少陰病→厥陰病」と名称が変わります。
そしてトドの詰りである「厥陰病」期に入ると、もうこれは手の施し様が無い事が多い時期なので
「やっぱり『陰』って Badなイメージだな~」と、刷り込まれがちな気がします。
これはあくまでも「厥陰」とラベリングした時期が、死期に近いと言うだけであって
「厥陰」には何の罪も有りません。
それは「火傷の程度には、1度から3度まで有って、3度が一番具合が悪い」からと言って
子供が通う小学校のクラスが1組から3組まで有る内、3組が1番具合が悪い… そんな訳がない!
それと同じ事です。

このように、森羅万象を構成する各要素に、人間が判り易いように あくまでも「仮に」
名付けただけに過ぎない事を理解して頂き、混乱しないように注意する事が運用上必要です。

もう数回 陰陽論は続きます。


随分 間が空きましたが、陰陽論の最後です。
さて 陰陽 の特徴と言うか、たたずまいと言うかは、以下の5つに要約されると言われています。

1)陰陽互根
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ。

2)陰陽制約
提携律とも言い、陰陽が互いに同じ方向にバランスをとるよう作用する事。
陰虚すれば陽虚し、陽虚すれば陰虚する。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実する。

3)陰陽消長
拮抗律とも言い、陰陽が逆方向に量的な変化をしてバランスをとるように作用する事。
陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚する。

4)陰陽転化
循環律とも言い、陰陽の同じ方向への、質的な変化である。
陰極まれば陽極まり、陽極まれば陰極まる。

5)陰陽可分
交錯律とも言い、陰陽それぞれの中に様々な段階の陰陽がある。
陰中の陽、陰中の陰、陽中の陰、陽中の陽。

このうち1)の互根は、絶対神の存在が根底にある西欧圏の人には難解な認識らしいです。
ですが、私たち東洋人には結構すんなり「ああ、そんなモンよね」と理解できると思います。
あえて言語化するなら、絶対的な存在は無く、拮抗する2つの(或いは幾つかの)極の間を
揺れ動く様こそが、物質の本質であり、生命の営みの真髄である と言うところでしょうか。
しかし
ただパッと見たところ 2)の制約と、3)の消長は矛盾していますね? 
2)では「陽が大きくなれば、陰も大きくなる」と言い、
3)では「陽が大きくなれば、陰は小さくなる」と言っていますから。
これは一見矛盾して聞こえますが、核心のみを取り出した為、難解なだけだと考えます。

「本質と、見かけ上の、動態を顕している」と僕は捉えているのですが
その理解へのヒントは、たとえば化学の「ボイルの法則」に見出せると思います。
体積と圧力の積は一定温度下では常に等しい、いわゆる「P1・V1=P2・V2」って奴です。
この場合「P1=陽の量(体積)」「V1=陽の質(実なら正圧、虚なら負圧)」
「P2=陰の量」「V2=陰の質」と、捉えれば収まりが良いようです。
(さらに、陰陽の質と量が全く平衡した状態を陰陽論上では「平」と表現します。)

つまり「陽(の体積)が大きくなれば、陰(の圧力)も大きくなる」が、2)の制約の趣旨でしょう。
この時「陰の体積」は、小さくなっている訳で、この理論的説明が、3)の消長で言うところの
「陽(の体積)が大きくなれば、陰(の圧が高まった分、体積)は小さくなる(減る)」の
趣旨である と考えれば、筋が通ってくるような感じになりますね。

また 4)は「厳冬の極みに、春の兆しを感じる」との意味の「一陽来復」に最も現れています。
「厳冬期の極み=陰の量的な極限」に至る事で、陽気の圧縮は極限にまで高まり
爆発的な勢いを内包して、しかし表面的には至って静かに、春から夏に向かう、
こんな季節の(漢方では四時と言います)巡りから、法則性として見出されたのでしょう。

そして5)は「純粋な」陽も陰も、概念上でしか有り得ない事を表現しています。
極悪人にも慈悲心はあります、真夏の暑い最中にも ふと秋の訪れの兆しを感じます。
物事は「ズバッ」と直線的に断絶を以って切り替わるのではなく
全てサインカーブを描いて 陰と陽の質と量の変換の中で、グラディエーション状の
変化をすると言う、指摘と考えています。

これで大体 陰陽論については話せました。
まだ漢方の運用上に必要な「三陰三陽」「土王至陰」「八綱弁証」等の概念については
お話できていませんが、これはまた関連付いた 各難の勉強の時に触れましょう。

これで陰陽論については一旦終わります。次回からは 五行論 に入ります。
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先週末は お盆でバタバタした&天気がダメダメだった ので、
ツアーどころか 練習に海に行くことも無く 終わってしまいました。
おかげで長距離漕ぎで痛めてた肘も、ほぼ回復しましたから
今週末は久々にカヤックを楽しめそうです って1ケ月乗って無いな。

さてそんなで今週は漢方の2回目ですが
学術的な話に入る前に 先に用語を統一しておきましょう。

まず「東洋医学」とは、そして「漢方」とは何を指して言うのか?です。
「東洋医学=中国医学である」と捉え勝ちですが、あくまでもそれは「狭義の」です。
本来はもっと広義に「西洋医学」に対する対義的な位置 と捉えるべき言葉なので、
そうなるとそこには、インド医学やタイ医学も含まれる事になります。
つまり
日本でよく言う処の東洋医学 即ち「鍼灸按摩湯液治療」は厳密に言うならば
それら東南アジア系医学を除いた「中華系東洋医学」と呼ぶべきなのでしょう。
それではいかさま長いので、今後このブログの中では「漢方」と書かせて頂きます。
そして本来
「漢方」とは「和方(日本古来の民間療法)」との対立的概念であり、
日本から見た中華系東洋医学についての総称である点に注意すべきだと思います。
なので「和漢の生薬配合」とかは、実は漢方の湯液治療のレシピじゃないんですね、
あれは「日本古来の民間療法を応用したレシピですよ」って表示なのですね。
なんだか響きだけだと「日本人の体質に合わせた漢方のレシピ」のようですが。

次に「治療」の本質とは何か?についてです。
これは漢方に限った事ではないでしょうが「医療=人の体を治す」の本義とは
「健全を知り、その恒常性を保つシステムである生理を理解した上で、
 病の原因つまり病理を考察し、その解除に拠って、健全に近づける」ことでしょう。
ただ病理を構成する要素の捉え方は、採用する医療体系の底に流れる
思想や哲学と、それ
に基づいて、症状を認識する際の切り口の違いによって
「本当に同じ人の同じ症状の話をしているの?」と思う程 様々な様相を見せます。
例えば シャーマン大が教えるD,J,パーマー直系のカイロプラクティックは
体の不調の全ての原因と施術点を、上位頚椎の変位に求めていますよね?
「施術者の行うべきことは、ただアッパーサービカルをアジャストするのみ!」って。
一方 連動操体法なども 私の手元の映像を見る限りでは、
すべての事象の原因と施術点を、腸腰筋の変位に求めると言った具合です。
では一方は出鱈目で、他方は真か? 一方は効いて、他方は気休めか?と言うと
そうと限らないのが治療の面白い所で、どちらも上手が施術すれば効くんですね。
それは何故だろう?と悩んだ時期も有ったのですが、思うに 治療の出来、不出来は、
手先の器用さや、オカルトな力の有無ではなく、各々のテクニック固有の認識の下で、
ゴールとなる健全と、その阻害要因を、イメージした上で施術出来ているか 否か
偏にソコに関ってくるモノだと、現時点では考えています。

そして漢方です、ここでは
人体の構成要素を「気」「血」「津液(水)」と捉え、
その過不足が健全である事を邪魔する要因=病理として働くと、認識しています。
人体の正常な営み つまり生理と、「気血津液の過不足」の発生原因 つまり病理を、
口伝ではなく、
言語化させて残すに当り、客観性科学性を持たせるツールとして
素問 霊枢 難経が成立した漢代前後頃の東アジアにおいて、
最先端の科学的思想であった、陰陽論と、五行論が用いられました。
だから「効く漢方治療」、最悪でも「却って悪化させない漢方治療」を行う為には
患者の気血津液の乱れを、陰陽・五行のバランスを整える事で正すイメージを
いかにリアルに、いかにブレずに持つかが大事になって来る訳です。

さて次に陰陽五行のうち「陰陽論」について紹介します。

「陰陽思想」の書では 四書五経の一つ「易経」が有名です(難解さでも有名です)。
哲学に限らず、真理を探れば抽象的に為らざるを得ず、従って難解になりましょうが、
そのスタート地点は素朴な生活実感に根ざしたモノだった筈です。
そう考えると思想とは、そこの住人の生活の上に、各々独自に育っていく物であり、
中国の思想なら中国大陸の地理的な条件が、強く影響している筈です。
インド、ギリシャ、エジプト等も、同様に北半球にあり、古代より文明が発達しましたが
これらと中国の間で 哲学、そして医療体系に大きな違いが見られるのは
中国が温帯モンスーン特有の明確な四季と、それが培った生活観の
影響を受けたからでしょう。

定着して農耕を基盤に生活するには、「適当な暖かさ」「適当な水分」が必要です。
それは 天が 適切な時期に 適切な量の光と熱量を与えてくれる事と、
さらに 地に 適当な水分が含まれている事 と言い換えられますが、
それらが「適切である」には メリハリの利いた四季の巡りの存在が必要となります。
このような生活環境の中で、生命を宿らせ、育んできた人々は理屈以前の実感として
「天の気(陽気)」「地の気(陰気)」の係わり合い、鬩ぎ合いと言ったものが、
生命の本質であるよなあ と考えても不思議では有りません。
こうして「見える物は見えないモノが生み出す」「形ある物は形ないモノから生ずる」
と言った感覚がコアな部分に産まれ、やがて「気」「陰陽」と言った概念が醸成され、
まずは
生活実感を元に、単純な2元論である「陰陽論」が生れたと思われます。

例えば「なぜ昼は明るくて、夜は暗いのか」「なぜ日陰は寒くて、ヒナタは暖かいのか」
と言った 身の回りの自然現象に対する素朴な疑問から始まったのかもしれません。
やがては「なぜ同じ種を蒔いても、実る時期と 枯れてしまう時期が有るのか」や、
「なぜ同じ場所に網を打っても、大漁の時期と不漁の時期が有るのか」と言った
生産活動に必要な情報を積み重ねる内に、
「古老の智恵」や「村の言い伝え」から
やがて何らかの洗練された法則へとステップアップしていった事でしょう。
いつしかそれは「暦」としてシステム化され、文章化され、さらにその裏付けとして
科学性が求められて行く過程で、やがて「陰陽論」は洗練されて行き、
遂には 物質の根本を「気」と捉える概念を持ち、
万物は「気」の循環により存在し得るとする「陰陽思想」に昇華したとされています。
「全能の神が陰陽論を人類に与え賜うた」と語り継がれている訳ではないのです。
やがてそれは単なる実務情報から、人生の指針の根拠や、
政治的な正当性の保証と為し得る哲学へと昇華したのでしょう。

そして少なくともルネッサンス期までは、間違いなく漢人達は、
その科学的な宇宙観から思想界における世界のトップランナーだったと言えます。
勿論 現代人の科学に裏付けされた合理的な解釈と言ったフィルターを通すと
陰陽で「人生の指針を決めたり、明日の行動の参考にする」のは
迷妄的ですし、
またその思想の中には無理やりな辻褄合わせや、
その理論が破綻を来さない為にのみ存在する「理論の為の理論」の部分も
結構含まれているのですが、あくまでもその根は「神秘的」「唯神的」ではなく
「科学的」「唯物的」な態度だと理解するべきでしょう。


さて現存する文書で、思想表現としての生命観に陰陽論の前提条件である
「気の概念」が最初に見られるのはBC280年位の『荘子』外篇「知北遊」にある
「人の生は気の集まりなり」「気が集まれば生じ、気が散ずれば死す」です。
そしてこれが21世紀の現在まで、漢方の哲学的な拠り所となっています。

さて「呂氏」とは「奇貨居くべし」の言で有名な、始皇帝のパトロンだった人ですが、
この人が編纂させた百科全書『呂氏春秋(BC239に完成)』を紐解くと
気の集散が生命の誕生、存続、消滅に関係するという考えが、
当時の医学に強く影響を与え
た事が分かります。
たとえばその中の「達鬱(『鬱滞を伸び伸びとさせる』という意味)篇」を見てみると
「身体が動かないと体内で気が鬱滞し、気の流れが滞ると、そこに病気が起こる。
 例えば目に行くべき気が何処かで鬱滞すると、目の病気が起こる。」とあります。
そうなる根拠として「流水は腐らず、戸枢は螻さず、動けばなり、形気も亦、然り」
つまり「流水は腐らない、戸の軸は虫が食わない、理由は『動くから』だ」とし、
そして「水が流れ、戸が動くように、気を動かす仕組みは何か?」についての
理論的な背骨を、彼らは「陰陽論」に求めた訳です。

陰陽論の成立の背景はココまでにして
次に陰陽論における一般的な陰陽の概念についてお話しします。
今週は 山の神様が、大学の同窓会って事で京都に一泊で出かけます。
そんなで犬の世話と留守番を任されたので、今週はNOカヤックWeekでした。
埋め草って訳でも無いのですが、こんな折に「漢方」の纏めを作りたく思います。

「漢方」と聞くと、普通は
張仲景の手による「傷寒論」を中心に発展した
「湯液」つまり「中華式薬物療法」をイメージする事になります。
ですが僕は針屋ですので、入り口が「難経」だったんですね、六十九難とか。
言うまでもなく難経は針治療に特化した経典ですし、ソレに育てられた僕の視点は
湯液を語るにしても、どうしても難経的なトコロからの発言になってしまいます。
しかし
張仲景も「素霊難を元に云々(成立は難経が先)」と自著で語っている事から
根本思想や運用時における、両者の齟齬は本来ならば生まれない筈です。
なので「漢方」では、陰陽五行から三陰三陽に行って、素霊を絡めてから、
その上で難経を纏め、最後に傷寒方面に話を広げようと思っています、僕なりに。

これってかなり大きな事を言っているので、時間が相当掛かりそうです。
しかもカヤックに行けばそっちの記事が優先だし。

さらにそこに、「中華式薬物療法」の歴史や背景となる哲学を乗っけてく積りです、
クドイ事だな とは解っていますが、私的にはこれらの理解は必然と感じています。
なぜなら井沢元彦曰くの「今も昔も分かりきった事は文書として残らない」からです。
数世代を超えて生活環境が変化すると、分かりきった事=常識と思われる事ほど、
分からなくなってしまい勝ちなのねな例を一つあげてみましょう。

昌泰2年(899年)2月14日早朝、菅原道真右大臣に任じられましたが、
さてこの日の夜に行われた祝賀会の席の上空に、輝くお月様の月齢を答えて下さい。
ちなみに江戸時代以前の普通の人なら、ほぼ全員答えられるはずです。
答えは「小望月」つまり
14日月しか有り得ないのです、
なぜなら
当時は旧暦なので、必ず日と月齢が一致するからです。
しかしそれを「あたりまえ」と言える常識は、
現代に生きグレゴリオ暦に慣れてしまった
私達からは、既に失われてしまっている訳です。

さて素霊難は後漢前後に成立したとされています。
その時代の人々によって書かれた文章の意味を取り違える事なく理解するには、
当時の「常識的な知識」位は押えておかないと不可能であり、
またその「常識」はどのような経緯を経て定着したかを分った上で学ばないと、
資料を解釈する時点で、自分流に捻じ曲げてしまう可能性が高まります。
それを防ぐには どのような歴史の大きな流れの中で、
その経典が如何にして生まれたかを知る事が、一番まちがい無い様に思えます。
ですから素霊難に付いて書く前に、陰陽と五行について勉強しようと思います。


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